2017-01-16 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 三輪崎八幡神社 JR三輪崎駅の南西約150m、国道42号線沿いに三輪崎八幡神社がある。神社の例祭は9月16日に行われるが、その際に奉納される鯨踊りは、神社階段下と漁港前の広場で行われる。 「万葉集」に、「神の埼狭野の渡り」「神の埼荒磯も […]
2017-01-15 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 丹鶴城跡 熊野速玉大社の東方にある丹鶴山には、もともと、熊野別当家の嫡流である新宮別当家の別邸や、平安時代末期の大治5年(1130年)に源為義の女「たつたはらの女房(別名熊野鳥居禅尼)」が夫の熊野別当行範の死後、その冥福を祈るため […]
2017-01-14 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 神倉神社 神倉神社(国史跡)は、熊野速玉大社の南西、千穂ケ岳(権現山、253m、国史跡)の南端に位置する神倉山(神蔵山、199m)の山頂から少し下ったところに鎮座している。神倉山は、JR新宮駅から踏切を越えて駅の裏側を西へ8分ほど […]
2017-01-13 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 東仙寺 王子神社(祭神稲飯命・三毛入野命)は、熊野速玉大社から阿須賀神社を経て、さらに海岸沿いに那智へ向かう旧熊野街道脇に鎮座している。県指定史跡の熊野九十九王子の一つで、浜王子とも称した。この付近を下熊野地というが、かつて市田 […]
2017-01-12 / 最終更新日時 : 2017-01-12 Tony 文化と歴史 徐福の墓と浮島の森 徐福の墓 JR新宮駅から東へ100mほど歩いていくと、徐福公園があり、そこは徐福の墓があった所と言い伝えられている。徐福は、秦の始皇帝の命令により、不老不死の薬を求めて数千人の子供たちを率いて蓬莱山に向かって船出したが、 […]
2017-01-11 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 阿須賀神社 丹鶴城跡から東へ500mほど行くと蓬莱山の麓に、阿須賀神社がある。江戸時代水野家の頃は速玉大社の摂社であったが、明治時代後、「阿須賀神社」として独立して現在に至る。 蓬莱山は元来、熊野川河口にある小さな島であったようであ […]
2017-01-08 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 那智火祭り 那智火祭は、熊野那智大社の例大祭で、毎年7月14日午後1時から行われる。昔は扇会式祭礼、または扇祭といったが、近年は那智火祭と呼ばれて名高い。 まず大祭に先だつ7月9日、社殿を浄め、那智滝の注連縄張り替え行事がある。つい […]
2017-01-07 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 那智滝 那智山への道は、JR那智駅から真っすぐ北に谷を登っている。JR紀伊勝浦駅から神社、お寺前駐車場行きバスに乗り、市野々小学校前バス停で降りる。学校の横を通って右に折れると市野々王子社がある。市野々王子社は、古くは一野王子と […]
2017-01-06 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 熊野那智大社 飛滝神社から5分ほど歩き、神社、お寺前駐車場バス停の前をのぼると、熊野三山のひとつ・熊野那智大社に着く。表参道の石段を登って行くと、中腹左手にかつて那智山の社僧・御師の僧院・僧房として大勢力を誇った実報院の跡地があり、さ […]
2017-01-04 / 最終更新日時 : 2017-01-04 Tony 文化と歴史 伏拝王子社跡から祓殿王子社跡まで 伏拝王子社は見晴らしの良い丘の上にあり、辺りには家が散在し、棚田と茶畑・野菜畑などが広がっている。伏拝の茶は、江戸時代から栽培が始まり、明治時代以降、音無茶という名で知られるようになった。 伏拝王子社跡は地区のはずれの道 […]
2017-01-03 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 浜ノ宮王子社と補陀落山寺 JR那智駅から東へ100mほど行くと、浜ノ宮王子社(熊野三所大神社)に着く。本殿は三間社流造・檜皮葺の中世の形式を色濃く残した社殿であるが、棟札によると、建立されたのは慶安元年(1648)である。浜ノ宮王子社には、祭神と […]
2017-01-02 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 大斎原 熊野本宮大社の表鳥居から国道168号線を渡ると、旧社地の大斎原への新しい石畳の参道がある。この付近は、室町時代の「熊野詣日記」によると「鳥井の辻」と呼ばれていた。中世の参道は、熊野川の畔にある産田社の手前で右折し、そのま […]
2017-01-01 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 熊野本宮大社 熊野本宮大社(熊野坐神社・熊野十二所権現社)は、かつて大斎原に鎮座していたが、明治22年(1889年)の大水害によって社殿の大半を流出したため、祓殿王子社跡近くの山中高台に、流出を免れた上四社(江戸時代後期建立)や東門( […]
2016-12-31 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 熊野速玉大社 JR新宮駅から商店街を通り抜け、国道42号線を約15分歩くと熊野川縁の熊野速玉大社(新宮大社)に着く。当社の社殿は明治16年(1883)に火災で焼失した。そのため、昭和28年(1953)に再建された際に社殿構成が大きく改 […]
2016-12-26 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 有田ミカンを栽培した~伊藤孫右衛門 先日、新宮ネットLINEで南紀のみかんについて盛り上がっていましたが、今日は、和歌山県でも有数のみかん産地である有田について、その歴史を振り返ってみましょう。 有田郡糸我の庄(有田市)の庄屋だった伊藤孫右衛門は、米があま […]
2016-12-20 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 和歌山県の民話・伝説⑦徐福ものがたり あんのう、がいな昔のことやけど。シナの国に秦の始皇帝ていう、どえらい王さんがおったんや。がいに力の強い王さんでのし、六つの国を攻め滅ぼいてしもて、 「わしがこの世の中で一番偉い王さんや」 て、そらあもう、ごっつうえらばっ […]
2016-12-18 / 最終更新日時 : 2023-08-01 Tony 文化と歴史 和歌山県の民話・伝説⑤文左とミカン船 貞享2年(1685)の秋、紀州ではミカンが大豊作であった。もともと紀州ミカンは、有田の伊藤孫右衛門という人が肥後の国八代から二株の苗を持ち帰って植え付けたのが始まりだといわれている。やがて、紀州の殿さま頼宣公も力を入れて […]
2016-12-17 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 紀州人・熊野人気質 司馬遼太郎は、髙田屋嘉兵衛を描いた小説「菜の花の沖」の中で、大阪ー江戸の太平洋航路の中継港として栄えた新宮港(池田港)について書いており、同時に、新宮人の気概についても次のように触れています。 熊野炭は、江 […]