2024-04-13 / 最終更新日時 : 2024-04-13 Tony 熊野・新宮の歴史雑学 熊野比丘尼の記事 学生時代の友人が熊野比丘尼についての記事を送ってくれたので紹介します。生熊という変わった苗字の友人で、ひょっとしたらこの比丘尼さんは親戚かもと言っています。
2021-01-31 / 最終更新日時 : 2021-01-21 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑨~幻ではなかった新宮県 慶長4年(明治元年=1868)1月、王政復古により明治政府が成立したとき、紀州藩付家老で「新宮藩」の第十代藩主だった水野大炊頭忠幹(みずのおおいのかみただもと)が藩屏(はんぺい、藩の重鎮)に列せられ、紀州本藩からはじめて […]
2021-01-30 / 最終更新日時 : 2021-01-21 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑧~熊野詣 2 熊野詣(2) そもそも「蟻の熊野詣で」といわれた熊野三山信仰は、平安時代の浄土信仰のひろまりによって盛んになったものだ。本州最南端にあって京都からみて真南に位置する熊野は、現世における極楽浄土とみたてられた。 仏教化して […]
2021-01-29 / 最終更新日時 : 2021-01-21 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑦~熊野詣 1 熊野詣(1) いつだったかぼんやりとテレビをみていたら、マイホーム訪問かなにかの番組に富司純子さんが出ていて、 「うちの子供たちがほたえて、もう大変…」と、しゃべっていたので、やはりふとしたはずみにお国訛りが出るんだな、 […]
2021-01-25 / 最終更新日時 : 2021-01-18 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑥~新宮十郎行家 3 新宮十郎行家 (3) 丹鶴姫を姉にもつ新宮産まれの十郎行家は、田辺にいる甥の湛増とは仲がよくなかった。 別当家につながるとはいえ腹違いの行家が以仁王の令旨を携えて諸国をかけずりまわって決起をうながしていることは、平家寄り […]
2021-01-24 / 最終更新日時 : 2021-01-18 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑤~新宮十郎行家 2 新宮十郎行家 (2) 新宮で生まれ育った行家が天下の争乱のまっただなかに乗り出すきっかけとなったのは、同じ源氏の源頼政とのコネだった。行家のほうから売りこんでいったのか、それとも思い上がった平家に反旗をひるがえした頼政が […]
2021-01-23 / 最終更新日時 : 2021-01-18 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた④~新宮十郎行家 1 新宮十郎行家 (1) 多弁で、こらえ性がなく、つい腹のうちを人にみせてしまうばかりか、思い立つと軽々と行動する軽率さが取り柄の男・・・。いかにも典型的な熊野人の一タイプだな、と微苦笑させられる人物として司馬遼太郎さんの「 […]
2021-01-04 / 最終更新日時 : 2021-01-11 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた③~丹鶴姫の怨念 3 田辺の別当屋敷跡という一画に、天正18年(1590)、弁慶松と呼ばれる周囲五抱えの大松があったことが古記録に記されている。三代目の松は昭和50年、松喰虫にやられて枯れ、現在、四代目が植えられているが、この松にも物部色の濃 […]
2021-01-03 / 最終更新日時 : 2021-01-01 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた②~丹鶴姫の怨念 2 丹鶴姫の怨念2 私が住んでいる府中市には、大国魂神社の参道でもあるけやき並木があって、けやきの中には天然記念物に指定された樹齢数百年という大木も混じっている。 そのけやき並木のかたわらに、大国魂神社を守るかのように建って […]
2021-01-02 / 最終更新日時 : 2020-12-31 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた①~丹鶴姫の怨念 1 丹鶴姫の怨念 熊野川べりの城山(新宮)には、いまでも頑丈な石組みが残っていて、かつて白亜三層の天守と多聞櫓を持っていたという丹鶴城の偉容をしのばせる。 いまは城にあがる道がすっかり整備されて登りやすくなったが、私が小学生 […]
2018-04-24 / 最終更新日時 : 2018-04-24 Tony 文化と歴史 紀州熊野捕鯨船屏風 このほど、那智参詣曼荼羅とともに県文化財に指定された「紀州熊野捕鯨船屏風」は、郷土史家・田中敬忠(1897-1989)の紀州ゆかりの文化財コレクションに含まれていたもので、平成元年(1989)に県立博物館に寄贈された。6 […]
2018-04-23 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 那智参詣曼荼羅が県文化財に 先に紹介した美術工芸品絵画「那智参詣曼荼羅」が、同じく「熊野観心十界曼荼羅」、及び美術工芸品歴史資料「紀州熊野捕鯨船屏風」とともに、このほど和歌山県教育委員会により、県の文化財に指定されました。 今回指定を受けた「那智参 […]
2018-01-02 / 最終更新日時 : 2023-08-01 Tony 文化と歴史 世界遺産「阿須賀王子跡」(阿須賀神社・蓬莱山) 熊野は、これまでどちらかというと全国の観光地の中でもマイナーな存在であったと思う。しかし、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産として登録されて以来、アクセスが少々不便であるにもかかわらず、次第に […]
2017-11-21 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 那智参詣曼荼羅 「那智参詣曼荼羅」は、熊野本願寺院に所属した熊野山伏や比丘尼が、庶民への布教と勧進のため、全国に持ち歩いた霊場案内図である。那智参詣曼荼羅図には中世の信仰の様子が描かれている。神仏が習合したこの聖地曼荼羅を見てみよう。 […]
2017-09-27 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 八咫烏⑤~世界の三足烏 三本足の烏についての神話は他の国でもみられる。Wikipediaに記述が見られたので紹介したい。 各国の神話 3本足の鳥の神話は世界に広がっており、太陽と関連付けられていることが多い。 中国 三足烏(さんそくう、さんぞく […]
2017-09-26 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 八咫烏④~三本足の意味 八咫烏の三本足の意味については諸説あるようだが、Wikipediaでの説明がわかりやすいので紹介したい。 三本足の意味 八咫烏が三本足であることが何を意味するか、については諸説ある。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそ […]
2017-09-25 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 八咫烏③~「八咫烏」の意味は? 神武東征の時に熊野から大和に導いたといわれる八咫烏は、古事記では「大烏」、「日本書紀」では「頭八咫烏」と表記されている。「八咫烏」の意味はそもそも何なのだろうか?実は諸説あってどれが真実なのかいまだにはっきりとはしていな […]
2017-09-24 / 最終更新日時 : 2023-11-22 Tony 文化と歴史 八咫烏②~神武東征神話(日本書紀) 先に、古事記にある神武東征神話について書いたが、これに対して「日本書紀」ではより詳しく伝えられている。 熊野についての場面を中心に見ていこう。注目は八咫烏の登場間面である。(山本殖生著「熊野 八咫烏」から) 熊野で暴風に […]