紀州熊野捕鯨船屏風

このほど、那智参詣曼荼羅とともに県文化財に指定された「紀州熊野捕鯨船屏風」は、郷土史家・田中敬忠(1897-1989)の紀州ゆかりの文化財コレクションに含まれていたもので、平成元年(1989)に県立博物館に寄贈された。6曲1隻の屏風装である。

太地浦の鯨組を中心に、串本浦(現在の串本町)から二木島浦付近(現在の熊野市)にかけて熊野灘の古式捕鯨が描かれている。

第1・2扇は串本・姫浦・伊串・大浦・神ノ川・古座浦の村落と沖合の紀伊大島の様子。紀伊大島の沖には古座組が網取法でセミクジラを捕獲する様子が表されている。第3・4扇には古座浦から太地浦にかけての海岸線が描かれている。沖合には古座組がマッコウクジラを突取法で捕獲し、曳航する姿やザトウクジラを網掛法で捕獲する様子が描かれている。第5・6扇には沖合で太地組と三輪崎組の共同による捕獲が行われ、太地浜の部分には多くの人々が見物する中、クジラの陸揚げや解体が行われている様子が描かれている。

特徴的なのは太地組と三輪崎組が協力して捕鯨に当たっている場面が描かれていること。両組の協調関係を示す点に主眼があるとみられている。享和3年(1803)に太地組が、文政9年(1826)には三輪崎組が紀州藩の支配下に入り、両組は一時的に一組となっている。この絵は両組の協調関係を背景に、捕鯨の具体的作業での相互の役割分担などを記録するための実用的な資料であったと考えられる。

(出典:熊野新聞)

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