玄孫が気まぐれで12時間を掛けて里帰りをしました。 遠方に住む身にとって熊野市はあまりにも遠く、暗くなった町は来訪者にはそっけなく感じたもしました。 今回の来熊(別の意味に聞こえますがご勘弁)の目的は、138年の時を経て高祖父の見ていた景色を見ておきたかった事と、ルール探しに菩提寺来た次第である。 寺の住職は足をお悪くされていたが、小生の思いつきに辛抱強く付き合って頂き、現在の祭祀権を持つ方に連絡をつけ一同に会する機会を設けて頂いた。 驚いた事に寺の創建は先祖が関わっており、寺には40年程前に一族で系図を作成し奉納しており、奥から箱に入った二畳ほどの家系図を吊り下げ仰ぎ見る・・・何やら大事になってきたなぁ。 系図は十五代程度続く三系統の当主が交わり一族を形成していたのだが、今回はご先祖の導きが成されたのか、約束の時間より1時間早く現着したためブラブラ見物をして、道端にある古びた庚申堂の世話人の名を見ると『天保二年卯二月立、世話人〇〇』と高祖父の父親の名前があるではないか!欲張って近くの神社を見ると狛犬の吽の背中には『昭和十三年十二月〇〇』と寄進した高祖父の名前があり、故郷を離れてからも関わり続けた明治の男の生き方を眩しく羨ましく想う。 なお、ブラブラの最中に道を聞いた人が、寺には来なかった三系統の家の十五代目だったと聞いて、小生の運はこんな所で使い果たしたのではないかと悲観しているのはご先祖には内緒である。
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