熊野那智大社

飛滝神社から5分ほど歩き、神社、お寺前駐車場バス停の前をのぼると、熊野三山のひとつ・熊野那智大社に着く。表参道の石段を登って行くと、中腹左手にかつて那智山の社僧・御師の僧院・僧房として大勢力を誇った実報院の跡地があり、さらに青岸渡寺の下方石段左手に、那智最古の家柄を誇った尊勝院の建物(開山の裸行上人象と仏頂如来像を安置)や志津の岩屋などがある

現在の熊野那智大社の社殿は、江戸時代末期の嘉永4年(1851年)~安政元年(1854年)にかけて建立された。第一殿・滝宮、第2殿・証誠殿、第3殿・中御前、第4殿・西御前、第5殿・若宮、そして第6殿・八社殿が直角に折れ曲がり、並んで建てられている。

熊野那智大社の宝物館には、平安時代の古銅印や、さらに平安時代前期の女神座像、平安時代後期の男神座像、古墳時代から江戸時代にかけて制作された奉納鏡88面、鎌倉時代の熊野本地仏曼荼羅、大湯釜、木造漆塗瓶子2口、花山法皇御籠書跡から出土した鎌倉時代の瀬戸四耳壷・山茶碗、さらに鎌倉~室町時代の熊野三所権現・千手観音・阿弥陀如来・薬師如来・如意輪観音・十一面観音などの懸仏、鎌倉~室町時代の大小2基1組の神輿、鎌倉~南北朝時代の鉄燈籠、南北朝時代の若宮本地仏の十一面観音座像、南北朝~室町時代の朱塗唐櫃、室町時代制作の鬼面、さらにはかつて豊臣秀頼によって市野々王子社に奉納されていた「慶長六年(1601)」銘の鰐口、「寛永二年(1625)」銘の擬宝珠3個、鎌倉時代から室町時代にかけての剣を収める江戸時代前期の金銀装宝剣拵附銅鍍金銀箱などを所蔵・展示している。熊野那智大社文書46巻11冊2帖2枚が国の重要文化財に指定されている。

境内には、白河法皇手植えの老樹として有名な枝垂ザクラの大樹と、平重盛手植えの老樹として有名な那智の大楠がある。

現在、熊野那智大社の例大祭として、毎年7月14日に、扇会式が行われているが、これは、滝をかたどった大きな木の板に扇と奉納された鏡を取り付けた神輿が、社殿から那智滝までお渡りを行い、神輿とともに滝本まで移動した神々が、扇褒め神事によってあらたな生命力を獲得するという祭礼である。お渡りの際に、巨大な松明に火をともした勇壮な集団が先導することから、那智の火祭りとも呼ばれている。

なお、扇会式の際に行われる那智の田楽は、室町時代初期に京都から招いた田楽法師によって始められたと伝えられている。同時に行われる御田植式も中世の雰囲気を残すものとして知られている。

「熊野那智参詣曼荼羅」の中心に描写されている那智山奥の院は、覚心(法燈国師)によって開山され、那智山において葬送儀礼を担当したという。別名、滝見寺(臨済宗)ともいい、那智社家の菩提所とされている。ここには、大小の板碑・宝篋印塔・五輪塔が数十基ある。

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