熊野本宮大社
熊野本宮大社(熊野坐神社・熊野十二所権現社)は、かつて大斎原に鎮座していたが、明治22年(1889年)の大水害によって社殿の大半を流出したため、祓殿王子社跡近くの山中高台に、流出を免れた上四社(江戸時代後期建立)や東門(現在は神門)だけが移転・再建された。
入母屋造の相殿神殿である第1殿・第2殿は、両所・西御殿と呼ばれ、熊野牟須美神と熊野速玉之男神を主祭神としている。本社殿である第3殿は、証誠殿と呼ばれ、熊野家津美御子大神を祭神としている。第4殿は、若宮と呼ばれ、天照皇大神を祭神としている。
なお、現在、熊野本宮大社境内のかたわらに和泉式部祈願塔がある。神社の膨大な宝物類はその多くを水害で失ったが、各々の神殿に祭神としてまつられている4体の神像を除く宝物の多くは、宝物殿に収蔵されている。
主要な宝物は、三角縁神獣鏡など奉納鏡16面、平安時代末期の平清盛奉納紺紙金泥経、鎌倉時代初期の源頼朝奉納の鉄湯釜、備崎経塚出土遺物、熊野本宮大社文書、南北朝時代の絹本著色熊野本宮八葉曼荼羅、室町時代の儀仗鉾2振、江戸時代初期の豊臣秀頼奉納銅鍍金釣燈籠、秀頼奉納の神額、秀頼・浅野幸長ら奉納の銅鉢、能面、徳川頼宣奉納の擬宝珠3個などである。
なお、熊野古道は、熊野本宮大社が移転してくる以前、現在の社地内を通っていたようで、今でも熊野本宮大社の社殿の裏と参道の西側に、旧参詣道が階段状に残されている。
熊野本宮大社で行われる神事は多数あるが、1月7日に行われる八咫烏神事、4月13日に行われる湯登神事、12月10日に行われる御竈木神事は有名である。
熊野本宮大社の南側には、大日山の北側の峠を越えて湯ノ峰に達する大日越えの山道がある。「中右記」によると、藤原宗忠は本宮から湯ノ峰に向かったが、このときに通った道はこの大日越えの山道であったようである。しかし、しだいに修験者だけが往来する道になり、湯登神事のときにのみ一般の参詣者もこの道を通って湯垢離のため、湯ノ峰王子社へ参詣したようである。なお、大日山頂近くの月見岡神社には鎌倉時代作と推定されている大日堂の石仏がある。