有田ミカンを栽培した~伊藤孫右衛門

先日、新宮ネットLINEで南紀のみかんについて盛り上がっていましたが、今日は、和歌山県でも有数のみかん産地である有田について、その歴史を振り返ってみましょう。

有田郡糸我の庄(有田市)の庄屋だった伊藤孫右衛門は、米があまりとれないこの地方の農民のくらしを豊かにする方法はないものかと日頃考えていました。

1574年、仕事で肥後の国八代(熊本県)へ行った時、ミカンという果樹があり、大きな収益を得られることを知りました。孫右衛門はミカンを故郷へ持ち帰りたいと思いましたが、特産物であるミカンは他国への持ち出しが禁止されていました。

そこで孫右衛門は一計を案じ、盆栽にするという名目で2株を手に入れて故郷に戻りました。長旅で枯れそうになっていたミカンの木を苦労して育て、接ぎ木をして増やしました。温暖な有田郡はミカンの栽培にとても適していたので、あまくて美味しいミカンが育つようになりました。

孫右衛門は、周辺の村々にミカンを栽培させたので栽培面積は大きく拡大し、紀州ミカンとして堺、大阪、伏見などで販売され、後には江戸にも送られるようになりました。

そして現在、有田ミカンをはじめとする紀州ミカンは和歌山県の特産物として全国に知れわたっています。

(八咫烏)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です