佐藤春夫~懸泉堂・筆塚・生育の地・生誕の地
佐藤春夫については、新宮ネット「文学史散歩」筆塚・佐藤春夫記念館・生育の家跡・生誕の地に詳しく説明されていますが、今回は那智勝浦町下里にある 春夫の実家「懸泉堂」のことと、「文学歴史散歩」筆塚、生育の地、生誕の地を写真で紹介します。
まず、春夫の実家「懸泉堂」とは、那智勝浦町下里八尺鏡野(やたがの)にあり、佐藤家が代々営んできた医家と寺子屋の屋号で、裏山に滝があったことからその名がつけられたとされています。
現在の建物は、新宮で「熊野病院」を開業していた豊太郎が、大正11年に佐藤家の家督を相続した後に建てられ、そのモダンな外観から西村伊作が設計に関わったのではないかと言われています。
懸泉堂には豊太郎のほかにも、豊太郎の娘で春夫の姉であった保子、その娘智恵子と彼女の夫であった詩人三好達治も住んだ時期があり(三好達治の子供さんが新宮高校に通い卒業したと聞いています)、谷崎潤一郎や壇一雄も娘ふみと訪れた写真等も残っており、日本を代表する文人墨客たちがしばし腰を下ろした場所でもあります。
現在、県立文書館、県立博物館、和歌山大学、那智勝浦町教育委員会、佐藤春夫記念会などが中心となって、懸泉堂に残る資料の全体像の把握や文化遺産としての価値等を調査中です。
ギャラリーはこちら⇒Gallery~懸泉堂
(こぶしん)
確か線路の近くですね。この建物の由来を聞きながら、前を通って、家族で粉白の磯へ遊びに行った思い出があります。