筆塚
筆塚(下本町2丁目1-1 市民会館前広場)【地図】
新宮市民会館前にある筆塚は、1964年(昭和39年)5月6日佐藤春夫が亡くなったあと、モンブランの万年筆やその他愛用の品々を収めて建てられたもので、「筆塚」の題字は、慶應義塾大学に学んだとき以来の無二の親友、詩人の堀口大学が書いたものです。
春夫の遺稿として残されtものは、「現代日本を歌ふ」と題された詩で、「その美化と純化とは忘れられ/国語をだに満足に語り得ざるは/げに奇怪無比の文化国なるかな」と結ばれています。日本語さえまともに話せない国がどうして文化国家などといえるのか、という厳しい問いかけです。
時は、東京オリンピックの開幕が数か月後に迫り沸きかえっていたときでした。東京オリンピック開会式で歌われた讃歌は、春夫の作詞によるものです。
(出典:「熊野・新宮発 ふるさとの文化を彩った人たち」)