我がらの新宮弁講座⑬~「でーらい波」考

私たちが、小さい頃から何の疑問も持たずに使ってきた「新宮弁」。成長して都会に出ていった皆さんは、その土地で使われている言葉と故郷・新宮の言葉との違いについてどのように思われたでしょうか?そして、その後、故郷の旧友に会ったり、帰省したときなどにふとついて出る新宮弁。あなたは新宮弁をどう思いますか?

万人が認める新宮弁の達人にして新宮弁研究の第一人者・城かず坊先生が、新宮弁の深淵に迫ります。それでは、よろしくお願いいたします。(編集長・八咫烏)
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【もんごい】 ものすごいこと。どえらいこと
【どすらい】    〃      〃
【でーらい】    〃      〃
【どんごい】    〃      〃    (熊辞苑)

森本祐司さん(熊エプ新宮支局長・熊野大学事務局長etc)からお便りをいただきました。「もんごい・どすらい・でーらい・どんごいを、ふと思い出」されたとのこと。

私もおかげさまで思い出しました。これ、言うたの。森本新宮支局長と同じような疑問・感想を持っているだけですので、
「お答え」できるような立場にはありませんが、思うところを述べてみたいと思います。

「どえらい」と「ものすごい」の変化形や混合形か、くらいには思ってました。「ものすごい」が変化して「もんごい」になり、「どえらい」が変化して「でーらい」になり、「どえらすごい・・!?」と混合して「どすらい」や「どんごい」になり・・・!?。

後段2種類はあやしいものでありますが、でも「どすらい」という言い方には遊び心や創作力(?)を感じていましたね。嗚呼、豊穣の熊野言葉です。

これらの言い方は、戦後(昭和20年~30年代か)新宮で誕生して、アマゾン川の逆流現象ポロロッカの如く熊野川上流部へ伝わってきたんやろな、と漠然と思っていました。(漠然=勝手にであります。念のため。検証が必要です)

この4種類のうち、「もんごい・どすらい・でーらい」(代表して「でーらい波」と言いたいと思います)は九重まで届いていましたが、「どんごい波」は九重ではキャッチできませんでした。「でーらい波」は、「げー文化」や「よー文化」(熊エプ13号参照)とともに、時代背景的には日活の石原裕次郎とともにやって来ました。

この「デーライ波」は熊野各地で受信されたのか、あるいは攻撃を受けた「パナウェーブ地帯」ともいうべき一帯でもあるのか、興味の湧くところです。各地からの情報が欲しいですね。(それにしても「白装束集団」にしろ、「オウム」にしろ、なぜ熊野にはやって来んのか!?。不思議&不満です。【答=不便・遠い】)

それはともかく、「なはれ」を「なーれ」に転化させた新宮文化(熊エプ13号参照)は「どえらい」も「でーらい」と新宮化させた、という説をとる新宮弁講師・かず坊といたしましては、文化人類学(?)的に「デーライ波」の彼方に、関西文化圏にいながら、吉本的なにわ文化とはまた違う、何かを感じてしまうワケなのであります。

たぶん、黒潮の流れと無関係ではない「南海道」のナニかのなせる業ではないか、とニラんでいるのでありマス。

ま、そのー。鹿児島の定岡正二に始まり、高知のエモやん(江本孟紀)と徳島のジャンボ尾崎三兄弟に声をかけて流れてきた黒潮は、新宮を経て、湘南で加山雄三やサザンと遊び、東京を窺おうとする「デーライ波」になるというワケですね。南国のノリとプレイボーイは軽いです。(平均年令が高くてスミマセン)

いやぁ、森本祐司さん。つい黒潮と太平洋高気圧と調子の波に乗って、「南海道デーライ波(=プレイボーイ)説」を発表してしもたデ。でーらい心配です。またのご提案、ご投稿をよろしく!。

次回は、かず坊の「世界方言宣言」です。

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