我がらの新宮弁講座⑩~ディープな熊野言葉 2
【まいしょうら】
おしまいにしましょう。やめておこうの意味。
【まいかっていく】
モノなどが神隠しに遭ったように行方不明になること
熊エプ読者の方から質問を受けました。「『まいしょうら』と『まいかっていく』いうて、知ったぁるかい?」。「まいしょうら」はすぐわかりましたが、「まいかっていく」はまるで解読できませんでした。
【まいしょうら】
終わりにしようの意味で、もうひとつの熊野表現は「やめておこら」です。略して「やめとこら」ですね。「まいしょうら」の方がディープな感じでしょうか。敬語表現や女性言葉では、「まいしょうれ」になります。
ところで、語尾に「ら」をつける言葉が敬語や女性語では「れ」になる法則は、和歌山弁として有名な「連れもて行こら」を始め、「食べろら」「走ろら」などなどに共通する新宮弁の法則です。紀北ではどうなのでしょうか。「連れもて行これ」となるのでしょうか。それとも、このきめ細やかさは南紀だけのものなんでしょうか。教えてください、紀北の北浦さん。知っちゃある?もし紀南だけだとすると、果たして県内のどの辺りから変化していくのか。これは紀州の大問題です。
【まいかっていく】=【まやかっていく】
「まいかっていく」は当初、皆目見当がつきませんでした。河野ママご紹介の「うし」や「ごんす」は熊野人としての気合で理解できましたが、「まいかっていく」にはキツネにつままれたような思いでした。
私は各方面に問い合わせました。と、ある方面から「それは『まやかっていく』と同じでは・・」との情報が入り、質問者に意味を確認したところ「ピンポーン」でした。「まい」と「まや」。たった一字違いが結びつきませんでした。
はっきりとはしないでいつの間にか所在がわからなくなっていく様子のことで、神隠しに遭ったような、まるで迷子になってしまったような、責任を追及されても困るような、そんな響きを持った言葉です。「まいかっていく」=「迷かっていく」なのか。
例えば、
「おい、消しゴム、どこィいった?」
「知らんけど、どこそ、まい(まや)かってしもたワ」
などと使います。学校の運動会でも
「先生、去年、使(つこ)たヒモ、見当たらんのやけど・・」
「のう、わからんのー、まい(まや)かってったみたいやのぉ」
などと責任を回避します。
「失くしちゃった」や「失くなっちゃった」にはまだ、「私にも責任の一端がある」、
あるいは「ないとはいえない」という罪の響きがあります。が、
「まい(まや)かってった」には「私には責任はない」と言っているように聞こえますね。クセモノです。
ま、消しゴムくらいやったらカマンけど、横田めぐみちゃんが「まい(まや)かってしもた」ら言うたら許さんぞ!。コラ、外務省と「北」の某!。そんな話は「まいしょうらよ!」。
次回は「やつす」「ふうわりぃ」「しこる」です。