近江天保の一揆~その①

 天保12年(1841年)11月、近江375ケ村の庄屋が京都町奉行所へ呼び出され、見分の申し渡しを命じられる。 翌13年1月、幕府見分(検地)役人、市野茂三郎一行が近江に入る。
野洲郡・蒲生郡の検地を開始。蒲生郡の日野・大久保を検地した。40余名の過酷な測量に対して農民の怒りは大きかった。
 8月以後、野洲郡三上村庄屋、土川平兵衛などが検地阻止のため秘密裏の庄屋会議開催を提案、甲賀郡庄屋会議、野洲・栗太郡庄屋会議が開かれる。
甲賀郡では庄屋70名が参加。一揆が決定される。

 10月になって、矢川神社の鐘を合図に農民結集。翌日未明杣川沿いを駆け下り、検地に協力的な庄屋を襲う。
水口藩は藩兵約70人を派遣、警固の陣を構える。甲賀郡一揆勢が野洲・栗太郡一揆勢に合流、検地役人本陣を包囲し、「検地十万日日延べ」の
証文を勝ち取る。
 これは約274年、ざっと数えて西暦2116年まで、現在も日延べ中である。

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