太地町の捕鯨の歴史⑧~熊野に納められた古式捕鯨図

熊野は富士山、熱田神宮と並んで日本の蓬莱信仰の三大対象地であって、また、神武天皇が八咫烏の先導により、大和の橿原宮に入った時に、入跡したところでもあり、霊験あらたかな土地柄である。そして、くじらは古事記の神武天皇の条に久次良として登場する。

和歌山県熊野にある熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社からなる三つの神社の総称で、全国に数千ある熊野神社の総本宮。山伏らによって広められた熊野権現信仰によって全国に分社され、公家や武士から漁師を含む庶民へと広がり、蟻の熊野詣と言われるほどに、多くの参拝者が訪れ賑わいを見せた。平成16年(2004)に、高野山などとともにユネスコの世界遺産に登録された。

この中の熊野速玉大社には、室町時代に皇室と足利義満によって奉納されたと伝えられる多くの神宝が宝物殿に展示されているが、それらとともに、明治36年(1903)に伊沢鶴年によって描かれた、太地浦の「網取式捕鯨図」が展示されている。東明崎の山見から狼煙の上がる様子や、美しく彩色されたくじら船、網が掛けられた親子のくじらなど、古式捕鯨の行われている様子が、見事に描きこまれている。

近年、熊野古道が世界遺産に指定され、熊野の地には数多くの人々が訪れているが、熊野観光の折にはぜひ見て欲しい作品である。

また、熊野那智大社は、太地のくじら組が参拝に詣でて寄進をするなど、彼等の信仰の対象となっている。

(出典:歴史と文化探訪 日本人とくじら―尾張、伊勢・志摩、熊野、紀州、摂津・播磨、瀬戸内、土佐

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