太地町の捕鯨の歴史⑤~遭難者とくじらの供養塔

明治11(1878)年、の「大背美流れ」事件は、船をほとんど失い、百人余りの漁師が亡くなるという、太地捕鯨の歴史の中で最も大きな事件であった。この時の遭難者の供養のための供養塔「漂流人記念碑」が、太地漁港を見下ろす旧県道脇にひっそりと建っている。

太地覚吾は、大背美流れのあと、遭難した太地の遺族のために金策に奔走する。しかし、あまりにも大きかったこの事故の打撃を受けた太地の人々の怨念は、いまも心の片隅に残っているように思われる。

かつて捕鯨の山見の置かれた梶取崎は、熊野灘を行き交う船がこの岬を目印にして梶を取ることから、この名がついたと言われるところ。熊野灘を百八十度見渡せる岬には、真っ白な梶取崎灯台が建つ。また岬の先には、くじらを見つけたときに船に知らせるために狼煙を上げた「狼煙場跡」がある。

また、梶取崎公園の一角には「くじらの供養塔」が建立され、毎年4月29日に、捕鯨OBによるくじら供養祭が行われている。

(出典:歴史と文化探訪 日本人とくじら―尾張、伊勢・志摩、熊野、紀州、摂津・播磨、瀬戸内、土佐

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