太地町の捕鯨の歴史④~和田一族の墓

太地捕鯨の歴史は、そのまま和田一族の歴史でもある。和田一族の菩提寺「順心寺」には、一族代々の墓が建ち並び、日本で初めて突取法により捕鯨業を始めたとされる和田頼元の墓もあるが、中でも最も大きな五輪塔の初代角右衛門頼治の墓からは、当時の和田一族の繁栄ぶりを知ることができる。

太地家は代々和田姓を名乗っていたが、初代角右衛門頼治の時、紀州藩主徳川光貞により太地浦の支配者として太地姓を賜った。入り口に並んで建つ等身大の石灯籠付きの六地蔵も二代太地角右衛門頼盛が建てたもので、権力と経済力は大名にも並ぶほどだった。

民間の鯨組の統領として、江戸時代の長きにわたって、浮き沈みがあっても、勢力を維持したことは驚愕に値する。

一方、東明寺は一般漁民用の墓地で、頭衆(かばちしゅう)の長であった浜八兵衛が、自分の墓地に建てた「鯨の供養塔」が太地町指定文化財として残っている。

「カバチ」とはくじらの頭の部分の呼び名である。捕ったくじらの頭の部分をもらう権利を持っていた者たちが頭衆である。また、町の共同墓地では、くじら漁で亡くなった者のために明治11年の大背美流れのために苦難の人生を歩んだ太地覚吾が建てた「鯨漁切死の墓」が見つかっている。

(出典:歴史と文化探訪 日本人とくじら―尾張、伊勢・志摩、熊野、紀州、摂津・播磨、瀬戸内、土佐

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