フランスあれこれ33~ガイヤール城
今回も古いアルバムかで見つけた写真からの観光案内です。
パリから西に国道およそ70㎞でノルマンディーに入ります。やがてセーヌ川を見下ろす台地にあるガイヤール城が望遠出来ます。
ノルマンというのは北の人、ノルマンディーは北の人の地域という意味です。この北からの人というのはヴァイキングの事なのです。これは北方ゲルマン民族の一派で既に紀元前から南下が進みローマ時代にはドイツ辺りからフランスの東部にも移動が始まっていました。ノルマンディー地方では9世紀末頃からセーヌ河を遡上して沿岸を荒らしまわりました。その数3万とも5万とも言われています。当初は春から夏にかけての北海が穏やかな季節限定でしたが、やがてセーヌ川河口付近に基地を作って越冬、更に活動を広めて永住の環境に至ります。ヴァイキングの暴力には地元フランク人は手も足も出なかったようです。
911年シャルル三世(単純王)はノルマンの首領ノノとの和解を計り、かくしてノルマンディー公国が誕生します。その後イングランドとの関係など紆余曲折がありましたが、この地方の首都であったルーアンの防御のためリチャード一世(獅子心王)(1190年十字軍として出陣した猛将)が1196年このガイヤール城を建設しました。推定5000トンの総石造り、標高約100mの丘の上に本丸、二の丸、三の丸、城壁の厚さ3-4m、完璧なまでに戦闘用且つ難攻不落の設計になっています。これを約一年で完成したというのでフランク側も驚愕したはずです。
フランク側はパリ進攻の前線基地とも恐れたのも納得できます。しかし獅子心王の死後凡将が跡を継いだタイミングでフィリップ二世(尊厳王)が猛攻、1204年に陥落、やっとノルマンディーがフランスに併合されたという次第。
そうです!この城塞の凄いところはまず歴史、そしてセーヌを見晴らす景観です。エッフェル塔や凱旋門などはスケールや歴史ではとても敵わない筈です。
話しに出たルーアンに向かいましょう。距離はガイヤール城から西に約40km、パリ同様セーヌ川に沿って出来た街ですが、一角に大きな港を持っています。物流の一大拠点(今でも)であることを示しています。
街の中央にノートルダム大聖堂があり、ステンドグラスが素晴らしい。メインストリートは大時計通り(写真)で今ではルーアンのシンボルとなっている。出来たのは16世紀、その時計は今も健在だ。時計台を通り過ぎて少し歩くとマーケット広場に出る。またもやジャンヌダルクの出番だが、彼女が異教徒(魔女)の名のもとに1431年19歳で火あぶりになった場所だ。当時の木組みの建物が今も残っています。他にも見るべきものは多いが観光地でもあり、あとは案内書にお任せしよう。
今一つ付言したいことがあります。何故ガイヤール城かのもう一つの理由です。仕事の関係で知り合った人がガイヤールさん。物腰も人当りもやさしく全くフランス人らしくない。ましてやヴァイキングの子孫?とてもそうとは想像も出来ない!仕事の相談で色々とアドバイスやヒントを頂きました。一度ご夫妻を家にお招きした際の写真を添付します。
(ガイヤール城、ルーアンの写真は1990年12月、ガイヤールさんをお招きしたのは同年4月でした)
珍しい城のご紹介を美しい写真とともにありがとうございます。先日西さんがハイムの広場で「カドフェル」というイギリスの探偵小説を紹介されており、私も大ファンなのですが、この舞台は12世紀のイギリスになります。リチャード1世はカドフェルで時代背景の話として毎回登場するモードの孫に当たるのだ、とネットで確認し、とするとこのお写真のお城はこの時代の様相をだいぶ反映しているに違いない、と興味深く拝見しました。ノルマンコンケスト以来の激動の時代を垣間見る思いです。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。お天気が良ければ眼下に大きく蛇行するセーヌ川を見晴らし、平和な世界を望遠します。私も一度西さんご紹介の「カドフェル」を読ませて頂こうと考えています。