フランスあれこれ(15)私はアルザシアン
50年位前の話です。まだパリに赴任して暫く、フランスの北東部ドイツに近いストラスブルグの近郊に出張した時の話です。予定の時間より早く着き時間を持て余しました。田舎の小さな町で見物するところもなくどうしたものか考えあぐねた時に目に入ったのが散髪屋さんでした。丁度散髪の終わった客がお金を払っているところで非常に良いタイミングだったようです。でも二人の楽しそうな会話にちょっとした違和感を感じました。フランス語ではなかったのです。
いつもの癖で良く言葉も判らないのについ口を滑らせて「ひょっとしてドイツの方ですか?」と聞いたのですが、その返事で私はびっくり「私はドイツ人ではありません。フランスに住んでいますがフランス人でもありません!」そこで彼は姿勢を正して「私はアルザス人です!」続いて散髪屋のおじさんも改めて姿勢を正して「私もアルザス人です!」お客の帰ったあと散髪をしながら色々とフランス語で話をしてくれましたが良く理解できませんでした。要はこの地方の方言がドイツ語に近い発音で残っているようで未だに(当時)日常会話はその方言だという事でした。
パリに帰って事務所の長老メムランさん(前にも登場頂きました)にこの話をしました。彼の説明を要約すると、フランスとドイツの間で長年領土争いをしてきたという歴史があります。ゲルマン民族がラインを渡ったのはギリシャローマ時代、同じゲルマン民族でドイツ語に近い方言が残ったのだろう。最近では第一次大戦でドイツに占領されたが終戦でフランスに、第二次大戦でも同じようなことが繰り返されたようです。その間に一時独立を目指したこともあったとか。
メムランさんに言わせるとライン川の西側(フランス側)に立地することもあるが、基本的な原因はゲルマン民族ながら川向うという事でゲルマンに軽んじられたことがあるようだが、最も基本的な理由はアルザスロレーン地方に鉄鉱石と石炭が産出されることだったらしい。フランス・ドイツ共にこの資源が欲しい、いや相手に渡したくない。この事情がこの地域のスタンスを複雑にしていると言います。しかしメムランさんの更なるコメントが私の心に突き刺さったのです。それは第一次或いは第二次大戦でもドイツがラインを渡って進攻すると、フランスはすぐに前線を後退させアルザスを見捨てる結果となったと言います。アルザスの人たちから見てドイツにさげすまされ、フランスに見捨てられ、結局はアルザシアンとして独立闊歩する以外に道がなかったのではないかと思います。
アルザス地方は実に風光明媚です。中世の面影を残す町が散在します。ライン川に沿った町では入り江や運河がその風情を一層際立たせます。またこの地方はワインの産地です。それがまた不思議、ドイツのように甘くない、でもフランスワインとは一味異なります。このワインで水辺の一杯は最高です。
ご存知のストラスブルグは古くからの交通の要所、EUの中心でもあり、そこには欧州議会が立地しています。折しも議会選挙があり、今までの主流派が後退し批判派が票を伸ばしたと報道されています。
近年日系企業も多く進出しています。代表的な企業ではソニーやリコー、それにヤマハエレクトロニクスなどがあり、今後のアルザス地域は欧州の中心舞台に進みつつあるように見受けます。