フランスあれこれ25~私は10か国語を話します。
日本の6月は高温で高湿度、私には極めて苦しい季節です。地球の裏のヨーロッパは真逆の環境です。澄み切った青空、緑豊かな自然、花も咲き乱れ人の心も一番晴れ晴れしい季節です。私はこの時期を狙って日本脱出をしましたがその先は旧ユーゴスラビアです。10年ほど昔の話をさせて頂きます。是非一度はと思いながら長い間の内戦で行けなかった地域です。アドリア海の歴史も大きな魅力でしたがサラエボ迄足を延ばすツアーがあったのでそれに飛び乗ったというは事実です。
スロベニアの自然観光から旅行がスタートし、ブレッド湖やボーヒン湖を巡って次の目的地に向かう時7-8歳の男の子を連れた若いお母さんが私達の貸し切りのツアーバスに入ってきました。最後部の席に座っていた私の隣に着席したので何か間違って乗ったのではないかと思い声を掛けました。ガイドは皆通勤にバスを利用させてもらうのだとのこと。今日は学校が休みで子連れになったこと、仕事の間は子供は事務所の近辺で待っているとのこと。そういえば今日は日曜日、お父さんは?と伺ったところ、実に気の毒な話を耳にすることになりました。彼女はドイツ人で、数年前結婚して、子供を身ごもってしばらくしてご主人が急病で亡くなったとのこと。一応生活保護制度があるのですが思い切ってドイツを出ていわば出稼ぎにきた由。ガイドの仕事のために勉強したが大変だったとの事。ドイツからの観光案内はご辞退。フランスや、アメリカからの観光客が中心とのこと。フランス語で話したところ実にうまい。親子の会話はドイツ語。一体何か国語を話すのですかと聞いたところ英語を入れて3か国だと言います。それにしてもあなたもフランス語も出来るのですかと逆襲されました。
そこで私は一発逆転を狙って「10か国語は話すことが出来ま~す」と胸を張って見せ、子供の顔を見ながら「順番に行きますよ、アメリカ・カナダ・ニュージーランド・オーストラリア、それから南アフリカ・イギリス・・・フランス・アルジェリア・チュニジア・・・それから、それから・・」ここで今まで無言だった子供が「Japanisch(日本語)!」すかさず私は「イッヒ カン スプラッヘン ニヒト ドイッチェ(私はドイツ語は話せません)」そこで子供が立ち上がって万歳をしながら大笑い、お母さんも私もバスの最後部で大爆笑、バス中で又貰い笑い。
若いお母さんが泣き出しました。「子供がこんなに笑ったのは初めてです。正直私共親子は笑うことを忘れていました」と言ってまた涙でした。私もちょっと貰い泣きしたのですが、ツアーの皆さんは一体何事があったのだ?という怪訝な顔。
話を変えるため私は趣味のステンドグラスについて話しました。フランスで習い今も続けていること。最近の作った作品の一つがタイトル「マケドニアの苦悩」、作品の出所は内乱当時の一枚の黒白写真。老婆が顔を皺だらけにしてハンカチで唇を覆い、目に涙が浮かんでいるものです。私はこれをいつも自分の机の前に飾っていて思いつけばいつでもライトをつけて・・そうです自分の今の幸せをかみしめるのです。私はこのツアーでお婆さんの故郷の近くサラエボまで参ります。途中下車で手を振って分かれた二人の笑顔が思い出されます。当時はまだスマホ時代でもなくこの作品の写真を見てもらえなかったのが残念です。でも多分私の気持ちは通じたと信じています。あれから10年近くたちその子供もぼつぼつ成人でしょうか。