フランスあれこれ(9)下宿の叔母さん(トゥールのお母さん)への手紙(II)

こんな写真が出てきました。5月21日(1964年)とメモされていました。叔母さんの隣には私が座っていました。ご主人が私のカメラで撮影したと思います。そう、叔母さんは私の家庭教師でした。ご記憶でしょうね。週末ごとに学校から作文の宿題が出されました。私が苦心惨憺しているのを見て私の作文を添削してもらった事があります。それを私の字で書き直して学校に提出しました。先生が皆の宿題を手にいつもと違ってげらげら笑いながら教室に現れました。教室の皆も訳も分からず貰い笑いをしたものです。私は何か不吉な雰囲気を感じていましたが、案の定先生が黒板に私の作文を書きだしました。先生曰く「私より先に作文を添削した先生が居られました。」文章はともかく単語が随分間違っているというか、多くのフランス人(特に老人)が間違って書いているものだと言うのです。私はちょっと苦笑いをしていたのでしょうか、多くの人が私の作文と理解したようで私を見つめる人が多かったと思います。でもお蔭で私は多くの人から声をかけて貰えることになり、良い意味で友人を得たという事です。

叔母さんには直接の勉強だけでなく日常の生活でも色々ご配慮いただいたことを知っています。食事の折、料理の名前や材料などを教えて頂きました。例えばチーズなどは毎日違ったものを買って出してくれたと承知しています。

一度セイロンから来たという友人に誘われ彼の下宿に行きました。古い2CV(Citroenの安い車)でしたが、下宿は歴史のありそうな豪華な農家でした。台所に続く大きな酒蔵があって樽からワインをグラスに直接取り出し、しかも次々の樽の味見をしたものです。「公認されているので盗み酒ではありません!」と言う風情でした。何れにせよ立派なワインカーヴでした。このセイロンからの学生、奥さんも子供もいて何となくセイロンの大金持ちか、或いは優雅な外交官だったかもしれません。

週末色々な企画であちらこちらの古城巡りをしました。言うまでもなく、フランスの中でも指折りの観光地、そしてトウールはその中心地ですよね。都度ガイド兼先生の解説付きなのですが私はまだ言葉も良く分からず残念至極。しかも当時は日本語の解説書を持ち合わせませんでした。

ある日叔母さんから今度の週末の昼頃は外出禁止、家にいるように言われました。先生の命令です。当日お昼前叔母さんの親戚の方らしい人やご主人の知人が数名集合。私も呼ばれて裏庭から半地下に入ったのですが、そこがワインの貯蔵庫。10個くらいのワイン樽がありました。先日の農家の樽に比べてはるかに小型でしたが、何種類かのワインの貯蔵庫だったのです。今日はその一部を瓶詰にするとのこと。作業のあと庭にテーブルを出して賑やかに味見のパーティーをしましたね。これも私の滞在期間中の一つの経験として企画してくれたことは間違いありませんね。そして今考えるとこれが多分私の研修終了でパリに旅立つ前の送別会だったのかもと推測します。

丁度この頃気が付いたのですが居間の暖炉の上に一枚の写真が額入りで置いてありました。日本人らしい、しかも私と似た年恰好、無論私ではありません。私はどなたですかと伺ったところ、「前に下宿していた日本人でムッシュー・シバタ」と聞きました。話はこれまででしたが柴田さんと言う名前はずっと私の耳に残っていました。やがて判明しますが、それは数十年後の事でした。その話は次回にさせて頂きます。

東 孝昭

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