1962年7月15日!
思えば今回の新宮訪問は母にとってはもとより、私共にとっても非常に輝かしい光栄に満ちたものでありました。過って父基吉が母と共著の歌集を出版しました頃に、なつかしい故郷新宮の事をよく私共に語って居られ「一度一緒にゆっくりと新宮へ行ってご先祖様の天地によくお礼を申そうではないか、その折には貞一がお礼にピアノを弾いて故郷の皆さんに聞いて頂くとよいなあ」などと申して居りました。
遂にその志を遂げることなく亡くなってしまいましたけれども、また今回式典が挙行されました七月十五日が図らずもおじいさま由比甚五郎の八十回目の祥月命日に当たって居りました事など思います時、今回、母がこのような思いがけない輝かしい姿で故郷に錦をかざり、また私ども夫婦もその供をして新宮の地へまいれました事などは、母も申して居りますように、何かご先祖様の霊が守り導いて下さったからのように思われてなりません。本当にありがたい事であったと思って居ります。
7月13日の夕方、私共が新宮駅に降り立って一団の明るい笑顔に迎えられました時、まず耳にひびいて来た「はとぽっぽ」の懐かしいメロディー 七十五年ぶりに故郷の土をふんだ母の心にどんなにうれしく響いた事かと思います。駅前から車に乗る時も、二の丸旅館に着いた後にも「はとぽっぽ」のメロディーは聞こえて居りました。母の供をしてはじめて新宮を訪れた私でさえもうれしさと感謝とも名状しがたいよろこびでこみ上げる熱いものを覚えたほどでございました。
また私共の宿として選んでくださった二の丸旅館は、旧お城二の丸跡に建てられた眺望のまことによい旅館で、母のなつかしい思い出の場所は居ながらにして望む事が出来ました。雄大な熊野川の流れ、こんもりとした神倉山のみどり、ご先祖様の霊位鎮まる墓地と思われる方には謹んで遥拝し、遠く親様方の生活なされた新宮の天地に深い敬愛の意を表した事でありましたが、この様に母に最も適した旅館を宿にお選び下さって手厚くおもてなし下さった御好意。
また新宮を出発して帰阪の途につきます折には、駅頭で海水浴に行く途中の小学校の生徒さん達が手を振って親愛の情を示して下さりましたり、駅のお弁当を売っているおじさんが親しい声をかけて「元気で長生きしてくださいよ」と祝福して下さった事などは母心の底まで沁みるよろこびを感じたことと思います。
このように新宮は全市を挙げて母を心から温かく迎え、暖かく遇し、暖かく送ってくださいました、母はもちろん、私共家族一同も深く感激いたして居ります。
(こぶしん)