2021-01-31 / 最終更新日時 : 2021-01-21 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑨~幻ではなかった新宮県 慶長4年(明治元年=1868)1月、王政復古により明治政府が成立したとき、紀州藩付家老で「新宮藩」の第十代藩主だった水野大炊頭忠幹(みずのおおいのかみただもと)が藩屏(はんぺい、藩の重鎮)に列せられ、紀州本藩からはじめて […]
2021-01-29 / 最終更新日時 : 2021-01-21 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑦~熊野詣 1 熊野詣(1) いつだったかぼんやりとテレビをみていたら、マイホーム訪問かなにかの番組に富司純子さんが出ていて、 「うちの子供たちがほたえて、もう大変…」と、しゃべっていたので、やはりふとしたはずみにお国訛りが出るんだな、 […]
2021-01-25 / 最終更新日時 : 2021-01-18 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑥~新宮十郎行家 3 新宮十郎行家 (3) 丹鶴姫を姉にもつ新宮産まれの十郎行家は、田辺にいる甥の湛増とは仲がよくなかった。 別当家につながるとはいえ腹違いの行家が以仁王の令旨を携えて諸国をかけずりまわって決起をうながしていることは、平家寄り […]
2021-01-24 / 最終更新日時 : 2021-01-18 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた⑤~新宮十郎行家 2 新宮十郎行家 (2) 新宮で生まれ育った行家が天下の争乱のまっただなかに乗り出すきっかけとなったのは、同じ源氏の源頼政とのコネだった。行家のほうから売りこんでいったのか、それとも思い上がった平家に反旗をひるがえした頼政が […]
2021-01-23 / 最終更新日時 : 2021-01-18 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた④~新宮十郎行家 1 新宮十郎行家 (1) 多弁で、こらえ性がなく、つい腹のうちを人にみせてしまうばかりか、思い立つと軽々と行動する軽率さが取り柄の男・・・。いかにも典型的な熊野人の一タイプだな、と微苦笑させられる人物として司馬遼太郎さんの「 […]
2021-01-04 / 最終更新日時 : 2021-01-11 Tony その時、熊野は動いた その時、熊野は動いた③~丹鶴姫の怨念 3 田辺の別当屋敷跡という一画に、天正18年(1590)、弁慶松と呼ばれる周囲五抱えの大松があったことが古記録に記されている。三代目の松は昭和50年、松喰虫にやられて枯れ、現在、四代目が植えられているが、この松にも物部色の濃 […]