我がらの新宮弁講座⑥~「新宮弁の基本構造」についての考察 2
「新宮弁の基本構造」周辺用語について(2)
■熊野風語尾付け言葉■
前々回は、新宮弁の二大基本用語である「やる」と「たぁる」について分析を行いました。今回はこの基本の周辺に点在する熊野風言い回しについて、さらに解明を進めたいと思います。
「やだ」「わだ」「のし」「んし」「げー」「なぃ」「なん」「な」「よー」「のぉ」「のら」など、周辺用語第二弾です。
このうち「やだ」と「わだ」については、熊野オリジナル語としての重要性が高く、なかでも「そうやだ」と「言うたわだ」は、今後国際語としてブレイクすることが期待されているということは、前々回に見た通りです。今回は、それ以外の「熊野風語尾付け言葉」を見ていきましょう。
最初にナンですが、これらの言葉の因って来たる由縁や南紀地方における分布図などは、私の研究室では予算が足りず、解明はお手上げ状態であることを白状せねばなりません。「ワリィけど、知らんのやだ」と謝らねばなりません。そやけど、使われやることは確かですので、数々の疑問を撒き散らしながら、エエ加減な主観や推測を交えながら見ていきたいと思います。
●新宮文化と周辺用語・新宮限定語はなぜ生まれたのか
〈疑問・その1〉 「げー」と「よー」
新宮は熊野の異空間です。周囲とは違う磁力が働いています。新宮に行くと人が変わります。魔力があるのかもしれません。尾鷲や長島は寝静まっている夜中でも、新宮は誰かがウロついています。
上記の「語尾付け言葉」のうち、「げー」と「よー」は新宮で発生し、新宮だけで使われていたのではないでしょうか。新宮といっても広角(ひろつの)や桧杖(ひづえ)、はたまた熊野川対岸の成川(なるかわ)や鵜殿(うどの)はどうやったんでしょうか。
有名なフレーズに「オレよー、新宮やげー」というのがあります。「オレ、九重(くじゅう)やげー」とは言いませんでした。「オレ、九重やけど」くらいのもんです。勝浦や木本もそうだったのではないでしょうか。
「よー」は江戸・深川と材木の取引をやって、新宮に広まったのかと推測出来ます。そうだとしましょう。そやけど、「げー」はどうしてなのか、ワカらんのやげー。
「が」を付ける言い方は広く熊野にあります。「赤やない、白やが」、「そんなことしたら、あかんがー」などです。この「が」が「げ」になったのでしょうか。・・??。
昔、九重村に新宮からおまわりさん(巡査と言いましたね)が転勤して来ました。男の子(千穂小)二人も一緒に転校してきて、「げー」文化と「よー」文化をもたらしました。言葉とともに、新宮の「空気」も持ってきました。調子がよくて、都会的(?)で、ややイカれたような・・・。裕次郎などの日活映画と長嶋茂雄の登場と新宮文化の流入。この辺の心象風景がダブります。私など簡単に新宮文化に染まり、九重原理派少年から白い目で見られました。
しかし、「あかんわだ」と言っていたのが「あかんげー」に変わりながらも、「北山川の水はきれいで、鮎はうまい」とは思っていました。この感じは東京に来てからも変わりません。たぶん、マンハッタンやシャンゼリゼ通りでブロンド美女とカクテルなど傾けていても、「九重の鮎・・」を思うことでしょう。一度(そういう目にあって)確かめてみたいものです。
話が横道にそれました。結局、「げー」と「よー」は謎のままです。
〈疑問・その2〉 「んし」と「なーれ」
新宮色が濃い言い方に「なーれ」があります。熊野全般では「せんし」「やらんし」「食べんし」「言わんし」となるところが、新宮では「しなーれ」「やんなーれ」「食べなーれ」「言いなーれ」となります。なんで新宮だけなんやろ・・?。
疑問はさておき、私は、これは、近づいてはいけない大阪弁をうまく取り入れ、新宮化することに成功した例として、極めて高く評価したいと思います。
大阪弁の「なはれ」の変化形と推測しますが、「なはれ」では丸ごと大阪弁のままです。これを「なーれ」と転化させたところがエライ。軽快な感じをもたせ(軽薄やないですよ)、南国化と新宮化、脱大阪化を巧みに果たしていると思うワケであります。
江戸から「よー」を取り入れた新宮文化は、浪速から「なーれ」を取り込んだか。もっぱら、小粋な姐さん風の人が好んで使っていたような気がします。
とまれ、新宮限定の「げー」「よー」及び「なーれ」も使用年限、年令制限があります。80才になっても「オレよー、新宮やげー」ではいかがなものでしょうか。
「ワシかい、新宮じゃよ」と重厚にいきましょう。小粋な姐さんもいつの日か超々熟女になったら「ま、なれずし食べていかんし」or「食べてくらんし、勝浦のマグロ」と言いましょう。
「なぃ」「のら」「のし」「のー」など
昔、勝浦のコに「なんなぃ」とか「誰なぃ」とか「何しやんなぃ」という言い方がおもしろいと言われたことがあります。してみるとこれらは川丈筋の言い方で、勝浦では「なんやろ」とか「誰なん」とか「何しやるん」とか言うのでしょうか。
「のら」は、十津川方面で使われやると「思うのら」。「のし」に「のー」は言うまでもなく、熊野むかし話の定番用語です。
さあ、皆さんもこれらの言葉を駆使して、立派な熊野人になりましょう。
爺さん 「バアさんや、そろそろしまいにしょうらヨ」
婆さん 「そやのー、ジイさん。今日はエエ天気やったのし。次は『スポーツ編』でいってみよかのしー」
次回は「スポーツ編」です。
講師:城かず坊
東牟婁郡の東部の方言に詳しい城さんへ、親しみをこめて(旧知です。思い出して下さいいませね)。
記事には、知らないことが多いので、驚きです。その情熱に感動いたします。
赤木川筋では、警察官が住まう処を、駐在所、警察官を「駐在さん」と呼びました。物売りの人、土木工事の人、炭焼く人、警官、先生などが「まれびと」でしたね。
東、大山の川、和田川、赤木川すじで、「ひしくる」は、涙を流して泣き叫ぶ、のでした。
さて、思い出したこと。勝浦から高校へ通う人に、語尾に「が」「げ」を使う人がいました。親しくなった私は、一時、が、げ、げー、を無意識に使ってしまい、母親から厳しく注意されました。三重県側から通ってくる男生徒にも、そのような言葉つかいの人がいたかに覚えています。
先だっての書き込みの訂正です。* 淡水魚ウグイは標準語名でもウグイ。関東での別名がハヤ。
* 南紀方言でハイと呼ぶ淡水魚の標準語名はオイカワ。関西での別名がハヤ。