かつお節考②~鰹節を発明した男

katsuobushiかつお節について、かつお節考①ルーツは熊野だった!でその起源が熊野であったことをお伝えしましたが、最初に発明したのは甚太郎という人物でした。

かつお節は大量に獲れた鰹の保存方法として考え出されたものです。寛永20年(1643)に紀伊水道を通過した廻船に印南・田辺・周参見からかつお節が積み込まれて大坂・堺方面へ運ばれていますし、紀州藩から幕府へ延命酒漬けかつお節が献上されています。

この頃既に、紀州のかつお節が商品化していたことがうかがわれます。しかし、その製法は単に藁を焚いて干乾ししたもので、長期の保存には向いていなかったと思われます。

印南の甚太郎は、腐りやすい初夏から秋にかけて大量に釣れるか鰹を、いかに長く保存できるか、遠くの地へ送れるかを考え続けた人でした。その遺志は二代目甚太郎に受け継がれ、延宝2年(1674)に燻乾法と呼ばれる技術を用い、長期保存が効く本格的なかつお節が発明されました。

彼が考え出したかつお節の製法とは、鰹を背割りにしたものを籠に並べて釜で蒸し、小骨を抜いて炊き、納屋と呼ばれる炉で乾かし、さらに、あぶりいぶす作業を繰り返して、そのあと、カビ付けして日光で乾かすというものでした。これまでは多く副食に用いられたかつお節は、かくして本格的な調味料となったのです。

甚太郎は土佐から故郷の印南に帰り、この製法を土地の者にも教えましたが、秘法ということで土佐・紀伊の一部から広がることはありませんでした。18世紀の終わり頃になって、同じ印南浦の与一が安房・伊豆にも伝え、やがて全国に伝播して日本人の味として、こよなく愛され、用いられるようになりました。

かつお節は当て字ですが、「勝魚」につながる縁起物として用いられていますし、長期の保存が利く天然調味料の一つとして人々の日常生活には欠かせないものとなりました。さらに、江戸時代においては、これも当て字ですが「勝男武士」に通じていることから武士たちからは大いに好まれました。

八咫烏

 

 

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