伊勢街道巡り旅 2.~日永の追分

2.日永の追分

「追分」とは、街道が分岐する地点を指す言葉。江戸時代の交通網において重要な役割を果たし、旅人が進むべき道を選ぶポイントだった。例えば、長野県軽井沢町の「信濃追分」は、中山道と北国街道の分岐点として知られている。

また、「追分節」という民謡の名称としても使われる。これは、信濃追分の宿場で生まれた歌で、馬子唄に三味線の旋律を加えたもの。子供のころ、三橋美智也が歌った「津軽追分」の名調子は今でも耳に残っている。

日永の追分……三重県四日市市にある日永の追分は、江戸時代の街道の王道中の王道である東海道と伊勢街道の分岐点。東海道から歩いて行って「日永の追分」にたどり着いたら、左に行くと伊勢神宮へ繋がる道。右に行くと京都や大阪に通ずる道。神宮遥拝鳥居は、桑名の一の鳥居に対し、二の鳥居といわれる。鳥居の前に大きな「日永の追分」の石柱があり、 左側に、「三重県史跡 日永の追分」の石碑が建っている。

石碑文には、神宮遥拝鳥居の経緯が書かれている。江戸時代、江戸に店を持つ当地出身の者が東海道を行き来するなか、参宮街道との分岐点である日永の追分に鳥居がないことを遺憾に思い、尽力をつくして寄付を集め、この地に鳥居を建立された模様やその後が記載されている。見逃せないスポットだ。

東海道五十三次の四十三番目の宿場町として栄えた四日市にあるこの追分は、東海道、そして当時大流行していたおかげ参りで有名な伊勢神宮への道との分岐点ということでかつて多くの人々が通過して行った。時空を超えて歴史の一端をかみしめてみたい。

思えば四日市は、名古屋勤務時代に毎月のように訪れたところ。アメリカやカナダ、オーストラリアから5、6万トンの穀物を積んで港に入る大型貨物船の荷下ろしに立ち会うのが仕事だった。当時、歳は20代後半から30代前半で、県の食糧事務所や港湾関係の会社には大変お世話になった。ただ残念なことに観光地を訪れる余裕などなく、ただただ名古屋と四日市を近鉄で往復するだけだった。

というわけで伊勢街道旅が始まった。今回の旅は、伊勢街道を少し時間をかけて味わってみたいと思っている。

最寄り駅はあすなろう鉄道追分駅 滞在時間30分1300/1313

時刻表(行き) 時刻表(帰り
四日市 1230 1300 1330 追分 1300 1308 1408
日永 1234 1304 1334 日永 1309 1317 1417
追分 1243 1313 1343 四日市 1313 1321 1422

近鉄四日市 1435 伊勢若松 1445/1448 鈴鹿市1454

Loader Loading...
EAD Logo Taking too long?

Reload Reload document
| Open Open in new tab
Loader Loading...
EAD Logo Taking too long?

Reload Reload document
| Open Open in new tab

訪問予定先

日永の追分 四日市市追分 四日市→追分→四日市
神戸の見附あぶい旅館 鈴鹿市19 四日市→鈴鹿市駅
白子港 鈴鹿市白子町 四日市→白子(近鉄20分)
江戸橋 津市栗真町屋町~上浜町 江戸に向かう藩主の見送り
津観音 津市大門32番19号 日本三大観音の一つ
津城跡 津市丸の内27 近鉄津新町駅920m 45分
三井家、小津家、長谷川家 松阪市船江町~京町 松坂商人
斎宮 明和町竹川~上野 斎宮歴史博物館
外宮(伊勢神宮豊受大神宮) 伊勢市豊川町279 近鉄・JR伊勢市駅バス5分
内宮(伊勢神宮) 伊勢市宇治館町1 バス外宮前~内宮前

伊勢街道巡り旅 2.~日永の追分” に対して2件のコメントがあります。

  1. 吉原和文 より:

    神宮は朝早くの散策に限ります。深い静寂と”神木の呼吸”の中、聞こえるのは踏みしめる砂利の音だけ—他の神社仏閣と全く違う感覚になります、心が洗われる、とは本当の事なんだ、と感じます。ぜひお試しを。
    なお私は美空ひばりの「りんご追分」、今でも歌えます (@^^)/~~~。

  2. Tony より:

    十男さん、コメント&アドバイスありがとうございます。
    神宮はもちろんながら、今何故かそこに向かう街道に心を惹きつけられています。
    今度、りんご追分をじっくり聞かせていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です