伊勢街道めぐり旅 5.~江戸橋と津観音
江戸橋
藩主が参勤交代で江戸へ向かう際、この橋を渡ると紀州藩領に入るため、藩士の見送りがここまでとされ、「江戸への第一歩」として江戸橋と名付けられたと伝えられている。
江戸橋は、四日市の日永の追分で東海道から分岐した伊勢街道と、京都方面から関で東海道から分岐した伊勢別街道が合流する交通の要所であった。江戸時代の記録によると、延宝6年(1678年)に木の橋として架けられ、その後、享保14年(1729年)や寛政7年(1795年)に架け替えが行われた。
明治時代には土橋から板橋へと改修され、昭和32年(1957年)にはさらに架け替えられた。そして、近年では5年にわたる工事を経て、令和元年(2019年)に新しい江戸橋が全面開通し、車道と自転車歩行者道が拡幅・整備され、より安全に渡れる橋となった。
歴史ある江戸橋を渡ると、かつての旅人の足跡を感じることができるかもしれない。
津観音
津観音(恵日山観音寺)は、三重県津市にある歴史ある寺院で、浅草観音(東京)、大須観音(名古屋)と並び、日本三観音の一つに数えられている。奈良時代に創建され、聖観音を本尊とする真言宗の古刹で、江戸時代には、伊勢参りをする人々が立ち寄る重要な場所として栄えた。
津観音は、藤堂高虎が津城を築いた際に城下町の中心として整備され、商人や職人が集まる活気ある地域となった。伊勢街道も近くを通るように付け替えられたため、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と伊勢音頭で歌われるほど、津は伊勢国内で最大の都市へと発展した。
現在も本堂や護摩堂、五重塔などがあり、境内は市民の憩いの場となっている。津観音の周辺には、かつて三重県最大の繁華街が広がっており、デパートや映画館、商店街などがあった。伊勢参りの最後の宿場町としても知られ、歴史と風情を感じながら散策できるスポットである。
津観音の意義
津観音は、伊勢神宮の祭神である天照大神の本地仏が祀られていたことでも知られている。江戸時代には、伊勢参宮の旅人が途中でこの本地仏「国府の阿弥陀」像を詣でることが一般的だった。
年中行事:節分会式(2月)、七夕まつり(7月)、十日観音(8月9日)などの行事が開催され、多くの参拝者が訪れる。
日永の追分 | 四日市市追分 | 東海道と伊勢街道の分岐点 |
神戸の見附 | 鈴鹿市19 | 参宮の旅人を監視する番所 |
白子港 | 鈴鹿市白子町 | 江戸に向かう伊勢湾最大の港 |
江戸橋 | 津市栗真町屋町~上浜町 | 江戸に向かう藩主の見送り |
津観音 | 津市塔世~本町 | 日本三観音の一つ |
我々が学生の頃、任侠映画が流行っていましたが、鈴鹿市に「荒神山の決闘」が行われたところがあります。地元ヤクザの抗争に清水次郎長一家が関わって、吉良の仁吉が鉄砲で撃たれて死んだ場所です。お伊勢参りと関係はありませんが。
私、50年余り前に鈴鹿バイパスという道路工事で1年近く鈴鹿市に住んでいました。
尾崎さん、コメントありがとうございます。
貴兄が鈴鹿市に住んだことがあるとは知りませんでした。このあたりの情報には詳しそうですね。NHKのブラタモリで鈴鹿サーキットが紹介されているのを視て行ってみたいと思ったのですが、時間の関係で今回は割愛する予定です。
街道の中で他にもお勧めのスポットがあればアドバイスください。また、機会があれば、案内していただきたいと思います。