森本剛史君との思い出~⑤大学時代
こうして高校時代まではよく顔を合わせて一緒に何かをするということが多かったが、大学に入るとほとんど会うということがなくなりました。彼は東京へ、私は九州へと遠く離れてしまったからです。ただ、休みでたまに帰省したときなどにはやはりよく会って近況を話し合っていました。なかでも忘れられないのは、城南中学校でやった教育実習でした。
教育実習
私は、前にも書いた通り、英語を使う仕事、海外へ行くチャンスのある仕事をしたいと思っていました。でも、とりあえず教員免許を取得しておこうと思い、関連の単位は取得しました。3年生の時に教育実習があり、実習をする場所は自分の故郷でもよいということだったので、迷わず城南中学校を選びました。
久しぶりに、自分の母校にやってきて英語を教えるということは何だか不思議な感覚でもあり、また楽しいことでした。教えた生徒の中には、自分の弟や剛やんの弟(森本祐司君、新宮市観光協会専務理事)もいました。実習では、英語が苦手な生徒にちょっとした関心を持って取り組めば、それほど苦労しなくても楽しく覚えられるということを伝えたいと思いました。
その頃、剛やんの家(森本薬局)では、AFSの交換留学生としてアメリカから新宮にやってきた女子生徒を受け入れていました。名前は、Pamela Napierさん=パムちゃんで、剛やんの妹さんが同級生でいろいろと彼女のお世話をしていました。ふと思いついて、このパムちゃんが学校にきてくれたら、生徒たちもいい体験ができるのではと思いました。
頼んでみると、快く引き受けてくれました。ある日の放課後、学校の図書館を借りて、パムちゃんと私が担任した生徒たちとの懇談会が開催されました。パムちゃんは、さすがにアメリカ人で、社交的でいろいろと生徒たちに話しかけてくれるのですが、生徒たちはなかなか話ができません。前もって質問を用意して練習しておくなど、もう少し準備をしておけばよかったと思いました。なにせ、実習期間が2週間だったので、その時間がなかったことが残念でした。
その後も、パムちゃんとは、森本兄弟と一緒に海に泳ぎにいったりと、自分も楽しいひとときを過ごしました。昔も今も、新宮で外国人を見かけることは少ないように思いますが、熊野古道が有名になってからは、訪れる外国人が増えて少しは出合う機会も増えているかもしれませんね。若い人には、外国語を身につけてどんどん世界に進出していってほしいと思います。