森本剛史の世界紀行~⑬紹興酒の里は上海の南にあった

2500年もの間愛され続けてきた紹興酒。この琥珀色の酒を生みだした町、紹興を訪れた。芳醇な香りを楽しみながら、紹興酒の魅力に触れる。

 上海から急行列車に乗り、南に走ること5時間。水郷地帯を抜けると急に水路が増え始めた。そろそろ紹興だ。網の目のように張りめぐらされた水路。その水路に沿ってうねうねと黒瓦の屋根が曲線を描き、そのたたずまいがそのまま水面に倒影されている。石橋の下を、名産の紹興酒の甕を積んだ黒い小舟が行き交っている。地元で烏蓬船と呼ばれる伝統的な運搬船だ。川幅が狭くなるといよいよ町中へと入っていく。駅を降りるとさっそく紹興酒のにおいに包まれた。さすが酒精の里である。

紹興酒の歴史は紀元前の春秋戦国時代に始まった。当時、紹興は会稽と呼ばれ「臥薪嘗胆」の故事で有名な越の国の都だった。酒造りも2500年もの伝統があるということになる。

中国の酒は造り方から、白酒、黄酒、ビール、果実・薬酒の4種類に大別される。白酒というのは蒸留酒で、貴州省の茅台酒や山西省の汾酒が有名だ。一方、黄酒とはモチ米を原料とした醸造酒で日本酒に近く、紹興酒はその代表である。ちなみに老酒と呼ばれるのは5年から10年間寝かせた黄酒の年代物というわけだ。

まず紹興酒の製造過程を知りたくて、郊外にある紹興東浦醸酒有限公司に向かった。応対してくれたのは副工場長の湯百年さん。さっそく紹興酒のうまさの秘密について質問すると、「それは鑑湖の水です」と瞬時に答えが返ってきた。「私は中国のあちこちに醸造の指導に行きましたけど、ここの酒には及びません。それは水が違うからです」

酒造りの初期の段階では、米を洗ったり、麹の製造などに大量の水を使う。そのためには会稽山の麓に広がる鑑湖の水でなければならない。「鑑湖の水、は小量のナトリウムやマグネシウムなどの鉱物質が含まれている軟水なんです。これが米を洗うときにも、発酵させるときにも役に立つ。紹興酒独特の味を醸し出してくれるんですよ」

湯さんに工場を案内してもらった。広大な敷地には2500を超える大きな甕が並べられている。紹興酒造りは、1水を張ったこれらの甕にモチ米を18日間浸す。2水を吸った米を15分ほど蒸す。3その後、蒸た米をムシロの上に広げて大きな扇風機で冷やす。4この後、前発酵5日間、後発酵は90日間。濾過と殺菌が行なわれ3年ぐらい寝かされてから出荷される。一部機械化されているとはいえ、ほとんどは伝統的な造り方を受け継いでいる。

「ひと口に紹興酒と言っても、加飯酒、元紅酒、善醸酒、香雪酒の4種類があるんですよ。一番有名なのは加飯酒でアルコール度は17度ぐらいです」。酒の甕はシックイで作られ、出荷を待つ甕は大きな蜂の巣のように見えた。甕の蓋はハスの葉と竹の皮で密封される。ここにもうまさの秘密があるようだ。

「紹興は、昔から時代ごとに優秀な人材を輩出しています。その名は中国全土に響き渡り゛紹興師翁(シャオシンシイエ)″という言葉があるくらいです。日本でも知られている人と言えば、『蘭亭序』で有名な書家の王羲之、それと文豪魯迅ですね。魯迅記念館の並びには魯迅ゆかりの咸亨酒店(シェンホン)がありますからぜひ行ってください」

その居酒屋は町の南側、一般に東昌坊と呼ばれる一角にあった。魯迅の父親の兄、つまり伯父さんが1894年に開業した店で、魯迅は子供の頃からここに出入りし、大人たちの話に耳を傾けていた。

彼の作品にはしばしばこの店が登場するし、この酒場を舞台にした「孔乙己」という短編もある。現在でも当時の雰囲気は残されていて、物語そのものの世界の中で人々は酒を交わし雑談を楽しんでいる。「小店名氣大」「老酒醉人多」の書が掛かった壁には西日が当たり、光と影がひっそりとせめぎあっていた。

私も紹興酒を注文してみた。しばらくするとブリキの容器で澗された酒が出てきた。酒に鼻を近づけてみる。芳醇な香りが鼻の奥に広がった。生温かい琥珀色の酒を口に含む。まろやかな液体が私の喉元をスッとすりぬけると、全身にその風格ある香りがゆきわたるような気がした。「飲めば真実を語る」という西洋の諺を反芻しながら、落花生をつまみに2杯目へと手を伸ばした。

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