フランスあれこれ95 バスティーユの天使

パリの広場と来ると、バスティーユ広場は欠かせません。別名革命広場で、革命以前は牢獄、その前は邸宅、発足は要塞だったようです。革命で民衆が立ち上がった際、アンバリッド(廃兵院)で銃器、そしてこのバスティーユ牢獄で銃弾を民衆が手にしたと言います。フランス革命の発端は1789年のことです。この後牢獄が取り壊されて広場に。

フランス革命は産業革命と並行していて社会構造の大きな変革の流れに乗るものの、宗教、王家、貴族に対抗するブルジョアが台頭、先ずは金持ちの市民が参政、しかし王政復古の矛盾を含んでおり、やがて七月革命(1830)、更に二月革命(1848)、最終的に短期間ではあれパリコミューン(1871)を経てやっと共和制に。実に一世紀近くを要した革命でした。

広場の中央に建つ1830年の7月革命の記念塔は高さ凡そ50m、上には自由の天使(一部の案内書では女神と混同していますが、男性です)が立っています。塔の中には革命で命を落とした人々を悼み慰霊碑があるようです。

半世紀以上前になりますが、初めてのパリに赴任で一度この塔を訪ねました。まだ若かったこともあり238段の階段を上って頂上を目指そうとしたのですが、残念ながら閉鎖中との看板で実現できませんでした。そして現在も慰霊碑の参拝までで塔の上には上がれないようです。

二度目の赴任でこの近くに行った時には新しいオペラ座(国立パリ・オペラ座)が広場の一角に出来ていました。革命200年記念の1989年7月14日完成と言います。その直後一度このオペラ座に参りました。広さ、近代的な建築、音響効果、更には舞台の一角に発声や音楽、更にはストーリーの解説がデジタル画面で表示され、かつてのオペラ座(オペラ・ガルニエ)とは対照的な印象を受けました。

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