館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」62

新宮中学ストライキへの展開とその余波
佐藤春夫の無期停学への風当たりは、大石誠之助らを中心に新宮中学への教育批判から、寺内校長個人への批判へと波紋を広げてゆきました。なかでも、田辺の「牟婁新報」が報じた「新宮中学の怪聞」の4回にわたる連載は(3面トップ・10月24日付・同27日付・30日付・11月3日付)、まず新宮町の2紙(熊野新報・熊野実業新聞)がこの問題を取り上げないのは遺憾だとしながら、都合25ケ条にわたって新宮中学及び寺内校長の非を追及しています。

一つは「共同学資金」の不始末で、校友会の運営費で、生徒一人一人から徴収しているにもかかわらず使途が不明になっていて、決算報告がなされていないことを、生徒側から指摘されているにかかわらず、いまだ真相を明らかにしていない、という指摘です。当時授業料は月1円、学資金積み立ては月20銭でした。

「こそこそと悪所通ひの校長鼠/かじる共同学資金/猫がみつけて ストライキ」と、当時はやりの鴨緑江節になぞらえて、新宮中学生はもちろん、小学生にまで巷で歌われていたといいます。ちなみに寺内校長は多少「出っ歯」の気配で、それを鼠になぞらえたのだといいます(「大石誠之助小伝」・浜畑栄造著、前述の春夫の「新宮の三大そっ歯」にも通ずる。この歌が春夫の作だと言う噂が巷には流れたと言う)。ちなみに鴨緑江節は、出稼ぎに駆り出された熊野の筏師たちが伝えたものだと言われています。

二つ目は、10月20日に寺内校長が、中学批判の演説会の企画に対し、未然に防いでほしいと警察署に要請に行ったこと。実際にこの講演会は大石誠之助や成石平四郎、松井澄星らによって11月5日に開かれています。

三つ目は、「試験問題の漏洩」疑惑で、新年度以来くすぶり続けていたようです。卒業試験に際し、ある女性が恋人の中学生のために問題を漏らしたというもので、小説「恋の罪」がさらに輪をかけました。この小説は「熊野新報」紙にこの年7月31日から7回にわたって連載されたもので、無著名ながら岩本風庵の作と伝えられています。主人公の設定が校長宅に仕える侍女、疑われて校長から詰問され、親元の和歌山に返されたという。この年の新宮中学5年生26名中、25名が卒業、ひとつの「風聞」を生み出す事件だったと言えます。たくさんの項目のうちでも、「共同学資金」の問題がメインで、春夫の停学問題が波紋を広げてゆくまでには、これらの問題も伏流していたことは確かなようです。

新宮中学4年生の同盟休校を伝える「牟婁新報」明治42年1月9日付

4年生の動向がストライキの先鞭をつけます。天長節の11月3日、春夫の「少年の日」の詩の舞台、王子が浜に集結して、翌日からの決行を決議しています。沖野岩三郎の小説「宿命」では、熊野製材所のストライキとして第4工場の職工から始まったとされていますが、その打ち合わせ場所として、大石誠之助がモデルの田原ドクトルの奥座敷とされています。実際は高木顕明の浄泉寺でなされています。4日は、ハルピンで安重根に暗殺された伊藤博文の国葬の日で、1限目は全体講話で2限目からは休業に当たっていました。4年生生徒たちは「謹で我父兄諸氏に告ぐ」のアピールを出し、3年生、2年生に拡大して、5日からの同盟休校となってゆきます。5年生や1年生は登校したようですが、授業にはなりませんでした。

学校側は町の有力者らを味方につけ、強硬姿勢を貫くことで保護者への働きかけを強めます。このストライキの進行過程には、長年新宮町内を政治的に二分してきた、保守派(実業派)と改革派(革新派)との思惑が深く絡み合っていました。「熊野実業新聞」が保守派を代弁し、「熊野新報」が改革派を代弁していましたが、田辺の「牟婁新報」からみれば、どちらも甘く見えたことでしょう。

一部の社会主義者が煽動しているとの見方もあり、それに対して、大石誠之助らは強く反発、寺内校長の不実を訴えたりしています。大石に「新中問題雑感」の小気味よい批判の文章があり、問題の本質を言い当てています(「熊野新報」11月12日付・15日付)。当初は学校側と保護者側にも立って中立的であった沖野岩三郎までもが「開書 寺内頴足下」の公開質問状を書いています(「熊野新報」11月15日付)。熊野実業新聞記者であった和貝夕潮は、新宮中学問題で社主と意見が合わずに退職に追い込まれています(同紙のこの年1月8日付に「入社の辞」、11月10日付に「秋風吟」と題する退社の弁と同僚記者の「夕潮兄を送る」を掲載)。

新宮中学同盟休校が成立するのは11月5日、一応の落着を見るのは11月12日。犠牲者は退学・諭旨退学者8名、停学者4名(「小野日記」より推定)、2教諭が煽動の廉(かど)で休職、配転、書記の更迭などの処分が成され、結局校長の責任は回避されたのです。

辻本雄一

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