青岸渡寺
熊野那智大社の隣に青岸渡寺がある。青岸渡寺は、元来、如意輪観音堂と呼ばれていた。平安時代末期に2代熊野三山検校行尊らによって観音霊場として喧伝された結果、西国三十三カ所観音霊場第一番札所として有名になった。
青岸渡寺の仁王門には、高さ3mを超える鎌倉時代後期作の木造金剛力士立像が安置されている。この仁王象は、本来、那智山全体の総門にあたる大門に安置されていた仏像であるが、大門消滅後、昭和8年(1933年)に仁王門が再建されたことにより、ここに安置されるようになったという。
本堂は大規模な9間堂で、建築様式と奉納された鰐口刻銘から、豊臣秀吉によって天正18年(1590年)に再建されたようである。入母屋造・杮葺きの建物で、大勢の参詣者が土足のまあ外陣に入ることができるように大空間がつくられ、熊野地方における桃山建築の代表的建造物とされている。
なお、本堂には、那智山経塚出土の仏像のうち、奈良時代のものと考えられる銅造観音菩薩立像や、平安時代前期作と推定される銅造如来立像、さらに平安時代後期の金銅大日如来坐像など、いずれも国指定重要文化財の8体の仏像、さらには室町時代の熊野本地仏曼荼羅図や熊野垂迹神曼荼羅図、「応仁元年(1467年)」銘の山上不動尊板棟札、本尊大黒天像などが保管されている。
なお、外陣には、巨大な鰐口がかけられている。この鰐口は、銘文から1590年に豊臣秀吉によって奉納されたことがわかる。さらに、本堂の北隅には、元亨2年(1322年)に建造された宝篋印塔がある。
鐘楼には、1324年建造の梵鐘があり、本堂の脇にはイヌグスの大木が茂っている。宝物館には、天正20年(1592年)作の阿弥陀如来坐像が所蔵されている。銘文により、奈良の下御門を拠点としていた「なら大仏師宗貞印」らによって創作されたことがわかる。