しばられ地蔵尊

12月4日は、全国で大雪が報じられるなか、都内でも10~11度と気温が下がり日陰では肌寒く感じられる日でした。所属するクラブ・歩く会の年内最後の企画「南蔵院からメタセコイアの水元公園」に参加してきました。南蔵院で「しばられ地蔵尊」という聞きなれないお地蔵様を見てきました。いわれを聞くと興味深かったので紹介します。

南蔵院の歴史
南蔵院は、正式には業平山 東泉寺 南蔵院と号する天台宗の寺院である。伊勢物語で知られる平安時代の歌人・在原業平が東下りの際に、隅田川で舟遊びをした時、船が転覆して多くの人が亡くなった。業平はその人々を弔い像を刻み村人に与え、法華経を写経して塚に納めた(業平塚)。その傍らに南蔵院が創建され、橋が架け渡されて業平橋と名付けられた。南蔵院の境内はその隅田川の様子を表したもの。白御影の砂利は隅田川、参道は業平橋、右手の石は業平の舟石。何度かの移転を経て、現在は葛飾区東水元に位置している。

しばられ地蔵尊の謂れ
​南蔵院の地蔵堂に祀られているしばられ地蔵尊は、大岡政談(大岡越前の名裁き)にまつわる説話によって有名になった。現在では盗難除け、厄除け、足止め、縁結びなど、さまざまな願い事を叶えるとして信仰されている。

大岡政談の故事
江戸時代の享保年間(徳川吉宗の治世)、名奉行として知られる大岡越前守忠相にまつわる、以下のような話が伝えられている。

​日本橋の呉服問屋の手代(佐助)が、反物を満載した荷車を南蔵院の門前に置いたままうっかり居眠りをしてしまったところ、目を覚ますと荷車ごとその反物が盗まれていた。手代が奉行所に訴え出ると、大岡越前は「寺の門前に立ちながら、盗人の所業を黙って見過ごすとは、地蔵も同罪である」と断じた。

越前守は命じて、地蔵尊を荒縄で縛り上げ、市中引き回しの上、奉行所に連行させた。あまりに奇妙な裁きに、多くの野次馬が地蔵のあとを追って奉行所の中にまでなだれ込んだ。越前守は、みだりに官邸に入った罪として、野次馬に対し科料として各自に反物一反を納めるよう言い渡した。

​集められた反物の中に、手代が盗まれた反物が一つ混まざっており、これを手がかりに捜査を進めた結果、当時江戸市中を荒らしていた大盗賊団を捕らえることに成功した。越前守は地蔵尊の霊験に感謝し、盛大に縄解きの供養を行った

信仰とご利益
この故事から、地蔵尊は「しばられ地蔵」と呼ばれるようになった。ご利益としては、盗難除けを始め、厄除け、足止め(悪縁を断つ、悪い病気の進行を止める)、そして縄で縛ることから縁結びなど、様々な願いが叶うとされている。

参拝方法
​願をかける際は、地蔵尊を荒縄で縛る。願いが叶った際には縄を解くのが習わし。毎年12月31日(大晦日)の夜には、盛大に縄解き供養が行われている。

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