伊勢街道巡り旅 下調べ~松坂城跡

松阪城は、伊勢街道巡り旅を思いついた当初から、津城と並んでいずれ必ず行きたいと思っていたとこである。念願の津城を訪れた後、その思いは日に日に強くなってた。来週の訪問を控えて、簡単に下調べしてみた。

松阪城は三重県松阪市にある戦国時代末期から江戸時代にかけての重要な城郭だった。

築城と蒲生氏郷
松阪城は1588年(天正16年)に蒲生氏郷によって築城された。氏郷は織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、伊勢国12万石の領主として松ヶ島城から居城を移すために新たにこの城を築いた。築城に際して、氏郷は故郷である近江国の松坂(現在の滋賀県大津市)にちなんで「松坂城」と命名した。
城の特徴と構造
松阪城は標高約45メートルの丘陵地に築かれた平山城。本丸、二の丸、三の丸、隠居丸などから構成される梯郭式の縄張りを持ち、特に石垣の美しさで知られている。蒲生氏郷が近江・日野で培った築城技術が活かされ、野面積みの石垣が現在でも良好な状態で残されている。
歴代城主
蒲生氏郷の後、松阪城には以下のような大名が居住した:
服部一忠(1595-1600年)
古田重勝(1600-1635年)
その後は紀州藩の支配下に入り、城代が置かれた。
商業都市としての発展
松阪城下町は氏郷の商業政策により大きく発展した。氏郷は楽市楽座を設け、商人の保護育成に努めた。特に伊勢商人の活動拠点として栄え、江戸時代には全国に展開する豪商を多数輩出した。松阪商人として知られる三井家、長谷川家、小津家などがその代表例である。

文化的意義
松阪城は単なる軍事施設ではなく、文化の中心地でもあった。蒲生氏郷自身が茶道や和歌に通じた文化人であり、城下では学問や芸術が奨励された。また、本居宣長の生誕地としても知られ、国学の発展にも重要な役割を果たした地域である。

明治維新後、建造物は解体されたが、石垣や堀などの遺構は良好に保存されている。1969年に国の史跡に指定され、現在は松阪公園として市民に親しまれている。春には桜の名所としても有名で、多くの観光客が訪れる。

松阪城は戦国時代から近世にかけての政治、経済、文化の変遷を物語る貴重な文化財として、今日でも重要な価値を持ち続けている。

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