伊勢街道巡り旅 実録篇11.~風日祈宮
風日祈宮(かざひのみのみや)ご祭神は、伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命、級長戸辺命。雨風は農作物に大きな影響を与えるので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしている。風日祈宮は、内宮神楽殿授与所の向い側の参道を進み、風日祈宮橋(五十鈴川御橋ともいわれる)を渡ると右手に鎮座している。風日祈宮に通じる風日祈宮橋の上からは、美しい新緑や紅葉を望むことができる。
「御笠縫内人」とは、延長5年(927)の『延喜太神宮式』には、「是日(旧暦4月10日をさす)笠縫内人等供進蓑笠」とあって、4月10日に風雨の平らかなることを祈願して、蓑や笠を奉るために設けられた特別な職掌だった。後世、鎌倉時代頃には、このお祭りを「御笠の神事」とも称した。
さらに、『皇太神宮儀式帳』には御笠縫内人の4月のお祭りの他に、旧暦の7月・8月の2ヶ月の間、風雨の平安と五穀の豊穣を朝夕日毎に祈願する「日祈内人」と呼ばれる特別な職掌による神事が行われていたことが記されている。この2ヶ月間の神事は、『延喜太神宮式』に「凡毎年七月、日祈内人為祈平風雨、所須絹四丈」とあり後に7月の神事となっていたことがわかる。
時代が下るにつれ、1ヶ月の長きに亘って祭祀を執り行うことが困難となり、いつしか7月4日(今の8月4日)の1日のみに限定され、4月14日(今の5月14日)の神事と合わせて年2度の「風日祈祭」と称されるようになった。
このように、時代に応じて変遷があったが、お祭りの本義はいささかも変わることなく現在に受け継がれ、古式ゆかしく執り行われている。
もともと「風神社」と呼ばれていた「社」が宮号をもつ「風日祈宮」となったのは、鎌倉時代の蒙古襲来の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく正応6年(1293)3月20日、太政官符を以て宮号宣下を発せられたことによる。


