伊勢街道巡り旅25.~藤堂高虎(2)転機

姉川合戦
与吉の初陣は、浅井・朝倉連合軍が、織田・徳川連合軍に敗れた姉川合戦であった。当時弱冠15歳の与吉(高虎)が取った兜首を小谷城に持ち帰ると、浅井長政は初陣の功にと脇差を与えた。この活躍ぶりはいちはやく浅井家の家中に知れ渡った。そして実はこの時、与吉は29歳の青年・家康の血みどろの奮戦ぶりを目撃していた。後に仕えることになるとは思いもよらなかったであろう。因みにこのとき、信長は37歳、秀吉は34歳であった。

転機
姉川合戦の3ヶ月後、信長が大坂の石山城攻撃に専念している隙をねらって浅井・朝倉連合軍は宇佐山城を攻めて占領した。この時も与吉(高虎)は勇戦して兜首を取り主君長政から佩刀を与えられた。かくのごとく、与吉は手柄を重ねていくうちに天狗になっていった。嫉妬した同輩の一人が「首を一つ二つ取ったくらいを鼻にかけよって!」と嘲ると腰の刀を抜きはらい、相手の肩から胸までを斬り下げた。「もう、こんなところに用はない!」との捨て台詞を残して浅井屋敷を飛び出した。

このとき与吉は、これからは信長の時代だと先を読んでた。愛妻お市の方の兄である信長を、浅井家の将来も考えず感情的に抵抗している主君・長政を、先の見えぬお方じゃと内心見限っていた。

また、信長は家康を援軍に迎えてうまく利用しているのに、長政は朝倉義景に援軍に来てもらえず、浅井軍の士気を大いに下げてしまったのも戦下手だと批判していた。こんなところにも、与吉の機を見るに敏なところが表れている。

小谷城を飛び出した与吉は、1里半ほど西南にある山本山上城の城主・阿閉淡路守貞秀の屋敷に逃げ込んだ。貞秀は浅井家に臣従する武将の一人だったが、主君長政を見限って信長方に寝返っていたことを知っていたからである。与吉が貞秀に会うと、彼の武勇を聞き知っていた貞秀は「お前も長政を見限ったか」とあっさり輩下に加えてくれた。

旗指物の意味
しかし、出会って1ヶ月もたたぬ間に、与吉は阿閉淡路守貞秀を見限って山本山城を飛び出し放浪の旅に出た。三河の吉田宿までに来たとき、路銀もなくなり腹を空かせて、ある餅屋に飛び込み、そこに並べてある丸餅を全部平らげてしまった。与吉は無銭飲食をしたことを詫びたが、主人はその食いっぷりに感心し咎めなかったばかりか路銀まで恵んでくれた。そして故郷へ帰れと諭された高虎は、餅屋の主人に感謝し、出世払いを心に誓って来た道を引き返した。

のちに、与吉が二十二万石の伊賀・伊勢の太守藤堂高虎に出世し、行列を組んで餅屋の前を通りかかったとき、馬から降りて餅屋の主人に昔の恩を謝し、金銀の入った革袋を手渡したという。高虎はそれまでに、旗指物として、紺地に白い丸を三つ縦に並べたものを使っており、家臣たちがどういう意味かと訝っていたが、そのとき初めて丸餅を三つ重ねたものだと分かったという。

このエピソードは、実話かどうかはわからない。しかし、餅が大好物だったこと、無銭飲食を正直に打ち明け謝ったこと、出世払いを約束して立ち去り、後に見事にその約束を果たしたことなどは、高虎の性格をよく表していると思われる。ファンとしては信じたいいい話ではある。

 

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