森本剛史の世界紀行~③ゾウの足音が響く、ボツワナの大地
南アフリカ共和国の北部に位置するボツワナ。 鉱物資源が豊富で、特に良質なダイヤモンの産出国として有名だ。日本ではまだ馴染みの薄い国だが、欧米人の間では旅行通好みのリゾートとして知られている。「最後のアフリカ」と言われるように、ボツワナの魅力は野生の動物の種類が多いこと。ゾウの数の多さはアフリカでも有数だ。東アフリカとは一味違った、野生の魅力をたっぷりとお知らせしよう。
■動物の種類が多い、リニヤンティ動物保護区■
空から眺めるとブッシュの中にリニヤンティの一本の白い滑走路が伸びていた。コントロールタワーも待合室も何もなく、ただ風向きを示す極彩色の吹き流しが勢いよく風に煽られている。
10人乗りのセスナ機はぐっと高度を下げた。その白い直線の左側に黒いものが点在していて、ゆっくりと動いているのがパイロットの肩越しに見えた。象の集団だ。
滑走路で私たちを出迎えてくれたのはガイド兼ロッジ・スタッフのブランドン・ケンプさん。南アフリカ出身で日本語がうまい。彼は元々はラグビー選手で日本の有名社会人チーム「ワールド」のフルバックで3年間活躍したことがある。さっそく象を見に行きましょうと、サファリカーを走らせた。車はレンジローバーを改造したオープンエアーの4WDなので、風が直接車内を吹き抜ける。こんな無防備な車でライオンやゾウを見に行って安全なのかと、不安が頭をかすめた。
リニヤンティ動物保護区は、ボツワナの北部に広がるチョベ国立公園の西側に位置している。ゾウがたくさん生息しているエリアとして有名だ。「この保護区の広さは12万5000ヘクタールで、ラグビー場の12万5000個分もあります」とブランドンさんはサバンナを走りながら説明してくれる。「サファリのベストシーズンは4月から11月。ゾウ以外にもライオン、ヒョウ、チータ、ハイエナ、キリン、カバ、ワイルド・ドッグなど種類も豊富ですよ」としゃべりながらも視線を左右に動かしている。
「ほら、ゾウの集団!」と指さす方向を見ると、シマウマの大群の向こうにたくさんのゾウが水を飲んでいた。ゾウはメスを中心に家族や群れを構成し、オスは成長(12歳頃)すると群れから離れ単独行動を始めるか、オスだけで群れを作る。ゾウは聴覚と嗅覚が発達していて、音と匂いで車などを判断する。「ゾウは1日18時間飲食に費やし、1日で200キロの植物を食べ200リットル以上の水を飲みます」とブランドンさん。
話を聞いていると、ゾウは自然生態系において重要な動物であることがわかった。木を倒すことでブッシュの一部が開かれ他の動物の居場所を開拓し、また1日に60キロも歩くので、あちこちで落とす糞は未消化の植物の種子を散布するのに役立つ。まさにゾウは自然生態系をバランスよく調整する「野生ブルトーザー」だという感を強くした。
サバンナの夕方。朱を流したような夕焼けを真っ二つに割るようにアオサギが飛ぶ。私たちは車を降り、ワインを飲みながらゾウの行進を眺めた。砂煙を上げながらワインレッドに染まる黒い巨体。私はジャワで見た影絵芝居のゾウを想いした。
■ライオン、カバが遊びに来るロッジ■
リニヤンティ動物保護区には8つのロッジが点在している。私たちが宿泊したのはキングス・プール・ロッジ。サバンナの中に忽然と姿を表した、ワイルドでゴージャスなロッジだ。名前の由来は、スウェーデンの国王がハネムーンでハンティング・サファリにこのエリアを訪ね、気に入ったことによる。ロッジの目の前が、リニヤンティ川の支流がせき止められた細長い沼で、25匹ものカバが生息している。ロッジに居ながらにして、カバを観察できるのだ。
チェックインするときに、前出のブランドンさんからこんな注意を受けた。「このロッジはサバンナの真ん中に建っていますので、ゾウ、カバ、ライオンが自由に行き交います。だから夜8時以降、ロッジ内を歩くときには必ずスタッフと行動を共にして下さい」。さすがアフリカのロッジである。
私は今までに300を超えるホテルやロッジに宿泊したが、ライオンなどが遊びにくるロッジなんて初めてだ。確かに、ロッジの前の池にはカバが棲んでいて耳と目を出してこちらを見ているし、部屋の周辺にはゾウの糞があちこちに落ちている。沼の向こう側は隣国ナミビアで、広い草原が広がっている。そこにゾウやライオンが生息していても何ら不思議ではない。私はスタッフの言葉が正しいことに気づき始めていた。
メインロビーでのディナーを終えた後、スタッフのガード付きでコテージに戻った。取材時、南半球に位置するボツワナは冬の季節で、日中は28度くらいあるのだが朝夕はわずかに5度。下弦の月がナミビアのサバンナの上に輝いている。野生の気配。草原の上を吹いてくる風には生命の息づかいが聞こえるような気がした。
朝3時半。ブウ、ブイブイ、グウグウというカバの鳴き声に起こされた。耳を澄ますと、草を噛っている音がそれに混じる。鳴き声からして4頭ぐらいいるのだろう。しばらくすると、そのうちの一頭が部屋のすぐ下に生えた樹木をかきわけながら、がさがさと陸に上がってくる音がした。枕元にカバが! 今カバと同じ場所にいて同じ時間を共有していると、私は至福の時間を堪能した。これを「野趣あふるる」と言わずして何と表現する?
■「カラハリの宝石」と呼ばれる、オカバンゴ湿地帯■
ボツワナの北西に手のひらの形の大きなオカバンゴ湿地帯がある。カラハリ砂漠のただなかに広がる美しい湿地帯は「カラハリの宝石」と呼ばれ、その面積は1万5000平方キロ。増水期には日本の四国全体がすっぽりと入ってしまう大きさだ。
オカバンゴ湿地帯の水源は西方に位置するアンゴラ高地に降る雨である。その雨がアンゴラとナミビアの国境に沿って流れ、南アフリカで3番目に長いオカバンゴ川に注ぎ込み、美しい扇型のデルタを形成している。この巨大な川の水は海に出会うことなく、そのままカラハリの砂漠の中に吸い込まれていく運命にある。内陸にあるデルタとしては世界最大だという。
オカバンゴはヨーロッパ人にはよく知られた高級リゾート地で、観光拠点はマウンの町だ。周辺には50を超える快適なロッジが点在し、私たちが宿泊したのはチュガナ・アイランド・ロッジ。5つに分かれたオカバンゴ川の一番北側にあり、名前の通り島全体がひとつのおしゃれなロッジとなっている。
このリゾートでの楽しみはモコロでの水路散策と、モーターボートから眺めるカバのサファリだ。モコロは黒檀の木をくりぬいて造った丸木舟だが、最近は黒檀の伐採が禁止されファイバーグラス製が主流となっている。
長い竿で押されて陸地を離れたモコロは、パピルスや葦が群生する細い水路をゆっくりと滑っていく。今までの鉱物の世界から緑の世界へ。青空を映す水面はガラス板のように硬質の光を反射させ、ポーラー(船頭)がひとかきすると、無数に浮かぶ睡蓮の花がぶるっと震えた。鳥たちの天空の音楽に耳を澄まし、岸辺に立ち寄る動物たちを眺めながらの小旅行。乾燥地での一服の清涼剤といえよう。
一方、カバ・サファリも迫力がある。ロッジからモーターボートで1時間走ったところにヒッポー・プールと呼ばれる大きなラグーンがあった。ヒッポーとはカバのことで、100頭を超えるカバが棲んでいる。カバの皮膚は太陽の光に弱いため日中は大きな巨体を水中に沈め、夜になると餌を探しに陸に上がり5キロも遠征する。
ガイドの指さす方向を見ると、カバのファミリーが全員こちらを凝視している。と、リーダーのオスが顔を沈めて潜りの態勢に入った。我々のガイドはそれを見るや、ボートを後進させ一気に大きな弧を描いて別の地点へ。「カバのリーダーはファミリーを守るために、ああやって攻撃を仕掛けてきます。カバは、水中でも陸上でも時速45キロで動けるんです。ちなみにこのボートの時速は46キロですからね、危ない、危ない」。ガイドの説明にみんな大爆笑。アフリカで一番危険なのはカバらしい。でもひょうきんな、あの顔は憎めない。
■世界最大の塩低地、マカディカディ・パン国立公園■
ボツワナの北東部に位置するマカディカディ・パン国立公園。マカディカディという名称は「生き物のいない広大な土地」という意味で、パンとは「窪地」のことだ。面積は1万2000平方キロもあり、遠くから見るとまるで薄く雪が積もったように見える。
私たちが訪れた乾期には、文字通り何もない、表面に塩分の浮き出した窪地だった。踏むとまるで霜柱のようにザクッと音がして、表面がひび割れる。その白い塊をなめてみると塩の味がした。
だが、ひとたび雨が降るとこの窪地は広大な塩湖となる。ライオンをはじめとしてシマウマ、ゾウなどの動物が集まってくる。パンの土壌は動物に必要なミネラル分を含んでおり、それが動物たちを引き寄せるのである。
ガイドからおもしろい話を聞いた。彼は白いパンを指さしながら言う。「ここに水がたまると50万羽以上のフラミンゴが集まってきます。この土壌の下には、乾燥した1ミリぐらいの赤い色のエビがたくさんあって、雨期になるとこのエビが生き返り、それがフラミンゴの餌になります。これらのエビを食べたフラミンゴはピンク色に染まります。ケニアのナウル湖のフラミンゴはここから飛んでいったものです」
これらのエビは、藻類に含まれるカルチノイド系色素(ニンジンの色素と同じ)を摂取して赤くなり、エビを食べたフラミンゴがまた赤くなる。見事な食物連鎖だ。
ゾウの生態といい、フラミンゴの話といい、ボツワナでは自然界のルールを目の当たりにした。動物たちの方が高度な生き残り戦略を持っている。これが今回の旅行の結論だ。