想い出~親父のやさしさ(下)

小さいころ野球が大好きで、当時の男の子はみなプロ野球の英雄、長嶋茂雄にあこがれておりました。そして甲子園で活躍して古豪とまで言われた新宮高校からプロへ進むのが夢でした。小学校時代は野球チームがまだなく毎日放課後にソフトボールのチームをつくって試合をするのが常でした。今のように子供用のユニフォームを着ているものなど一人もなく、せいぜい好きなチームのマークの付いた野球帽が人気でした。

中学に上がると早速野球部に入部。登校前と放課後の練習は思いのほか厳しく、昔のことですから今は禁止されているウサギ飛びなどは当然のことでした。毎日、朝4時に起きて、近くの山(蓬莱山)の石段の上り下り、また、別の日には、新宮川の砂浜を細かい砂に足を取られながらOKが出るまで走り続けました。この苦しさを乗り越えないと上に行けないと信じていたので諦めずに頑張りました。

そして、半年後に野球部全員が身体検査を受けることになりました。結果、私は急性腎臓病(ネフローゼ症候群)を発症しており、即退部せざるを得ませんでした。しかも一人ではなく同級の1年生合計9人が同じ病気でクビになりました。練習がいかに厳しかったかの証拠です。青春の夢がたった半年で儚く消えてしまったのです。

プロ野球選手になりたいという夢はあっという間に消えてしまいましたが、ジャイアンツ愛はずっと続き一生巨人ファンでした。高校まで実家から通っていて、大学進学とともに初めて親元を離れることになりました。学生時代は下宿生活、ある種の寂しさはありましたが友人も出来てそれなりに少しづつ大人の階段を上り始めていました。

大学に入ると高校までとは違って学習科目も自分で選択し、授業に出る出ないは自由、成績はA、B、Cと別れるが、Dにさえならなけれ問題はない。開講日をうまく選べば週のうち数日登校せずとも誰からも文句は言われない全く自由な毎日を満喫していました。というより毎日遊んでいたのです。

初めての夏休みに帰郷した時、ふと見ると親父がテレビで野球を見ている。阪神の選手が映っていたので巨人阪神戦かと思って横から見ると、巨人戦ではない!今日は試合がないのかと親父に聞くとすぐに切り替えてくれた。相手がどこだったかは忘れたが、親父はこの時巨人戦を見ていなかったのだ。驚いたことに、親父は実は根っからの阪神ファンだったのです。

この時の驚きは今でも忘れらません。長嶋がどうのこうのと仕入れた話を親父に言うと、ほう、そうか凄いね!と調子を合わせてくれた。だから、てっきり親父も巨人ファンだと信じ切っていたのです。私が家にいる間は巨人ファンである私のために自分が阪神ファンであることを隠していたのです。普通、一家の主ならテレビチャンネルの選択くらい我を通すものでしょう。何と言っても毎日懸命に働いて一家を喰わせているのですから。それが・・・。

このことを後で母に確かめると、私が親元を離れて以降は親父はずっと阪神戦を見ていたそうです。そこまでしなくてもよかったのにと思いましたが、そういわれてみると、他にも思い当ることがありました。何かについて話をした時も、私の考え方、意見をよく聞いてくれて、間違っていないと思う限りはうんうんとよく聞いてくれました。たかが、テレビチャンネルの話でしたが、実は親の愛情がもっと深いところにあったことに初めて気づいた瞬間でした。

もちろんたまに口喧嘩したこともありましたが、その時は物静かな親父が驚くほどの大声で叱られました。しかし、普段は、親から何かを押し付けたりせずに、すべて私が思うように自由にさせて息子の成長をじっと見守ってくれていたことを実感しました。親元を離れるまでそれに気付かなかった自分は随分と子供だったと思いました。そして親父のやさしさにようやく気が付いたのでした。

 

 

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