フランスあれこれ63~ニースの想い出

1964年東京オリンピックの年です。パリに赴任して約半年、内地勤務時代の上司がニューヨーク出張の後ヨーロッパに見えるという連絡が入りました。入社以来世話になった上司でもあり、どうせ週末の時間つぶしの観光だろうと推測していました。ところが到着するなり得意先をどこか訪問するところがないかと言われ、一度日本に来たことがある得意先に伺うことにしました。雑談の後ちょっと私共の意見を聞きたいものがあると言って夕食に招かれ、そのあと会社の研究室へ。出されたのが目下開発中だというブランディーのテイスティングでした。色々な植物の発酵アルコールです。どれも私の口が受け付けるものはありませんでしたが、我が先輩が色々コメントして実に楽しそうでした。遂に酔っぱらってホテルに帰るのも大変でした。

 翌日週末を兼ねてと考えてマルセイユへ、一軒だけお邪魔したあと、予定通りニースにしようという事に決定、ホテルに部屋の予約電話をしますが何処も満杯空き部屋はありません。思い切って最後に電話したのが「ホテル・ネグレスコ」ニース最高のホテルです。ここで一部屋だけ見つかりやれやれ、部屋代を考えてまたやれやれの思いでした。夕食を駅近くで済ませ、暗くなってからチェックイン、荷物を置いてすぐに出掛けたのが近くのカジノです。私も初めてのカジノ経験でした。恐る恐るパスポートを提示して中に入り、10ドルをコインに交換。さっと一巡した後ルーレットの部屋に入ったのですが殆ど満席。暫く立ち見となったのですが、どこからか老人に誘われ少し席を離れたところで立ち話。要は先ほどのテーブルに座っている中年の男が負け続けて、この老人が見ている間だけでフォルクスワーゲン一台分は損をしたと。改めて本人を見た所、横に置いたウイスキーをちびちびやり続けながら、しかしよく見るとちょっと顔が引きつったような・・今に一発と踏ん張っているような・・この老人が私に言いたかった事はこんな賭け事に深入りすると人生を台無しにするという事だったらしい。それとなく話の意味を汲み取って「今日は見学だけです。今後日本からの観光を兼ねた来客を考えてのことです」と言い訳をして納得いただいた次第です。

一応の見学を終えてホテルに、どこかで賑やかな歌声が耳に入りました。ロビーでこれから地元の女子学生のダンスが始まるとのこと。色々なフォークダンスが次々と軽快な音楽とともに流れる中、頂くお酒も実にうまい、気分爽快でした。大体は老人ばかりの宿泊客ですが調子に乗って立ち上がりダンスの真似をしたり腰を振ったり・・・・大いに盛り上がったところで皆さんもご一緒に踊りましょうとのアナウンス。待ってましたとばかり皆さん立ち上がり参加します。我々若い日本人二人が取り残されるのも逆に恥ずかしい!とばかり思い切ってこれに参加。見様見真似のスタートでしたが、少しずつ調子に乗って・・腕を組んでは次にバトンする子供たちの可愛いこと、その子らのリードの実にうまいこと・・

やがて時間でお開きに。この時日本からの先輩の言葉「私が10歳、いや20歳若くしてこの経験をしていたらフランスに移民することを考えただろう」でした。

 翌日も好天、早速ホテルの庭や昨夜のカジノを確認して散策、ホテルの目の前の海岸で早くも多くの人が日光浴、しかもほとんどの人がほとんど裸!

(写真はネットで見つけたニースの写真と誰も私だと信じない私の当時の写真です。)

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