馬場辰猪の在英物語

bunka-rekishi-120x90馬場辰猪の在英物語

まず、1874年(明治7年)、当時の西洋思想を留学体験から一身に学びとって帰国した馬場辰猪が新宮を訪れています。馬場辰猪は土佐藩出身で明治時代を代表する思想家になり、とくにこののち、自由民権運動が土佐の地から起こりますが、1883年(明治16年)に著した「天賦人権論」は民権運動の理論的根拠とされました。

馬場は、高知市の生まれ、慶応義塾に学んだ後、イギリスに留学、法律を研究して帰国しました。高知から上京の途中、船が熊野灘で難破、大島に避難して天候待ちをしていましたが、なかなか出立できず、東京に向かう材木船が新宮から出るということを聞き及んで、徒歩で新宮にやってきたといいます。

新宮の池田町の船宿にしばらく滞在、その間、二十数名の者に在英物語を話して聞かせたということです。もちろん、新聞やテレビなどのない時代、最新の外国事情への関心がこういう集いを実現させたのでしょう。当時、新宮には、熊野川奥に石炭が発見され、全国から多くの鉱匠(石炭関係者や石炭夫)が集まってきていたといいます。その鉱匠たちにも、イギリスの石炭事情でも話したのでしょうか、感銘を与えています。

おそらく、当時はまだ無名の時代、先覚者であった馬場辰猪の話を、容易に受け入れる土壌があったことに驚かされます。馬場は、お礼もかねてでしょうか、その後渡米して、「ジ・イングリッシュ・イン。ジャパン」という原書を、船宿の主あてに送ってきたといいます。しかし、馬場は、その後に本に帰ることはなく、1888年(明治21年)、アメリカの地で38歳で亡くなります。

 

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