2021-10-24 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Nishi 佐藤春夫 館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(24) ・第五回内国博覧会をめぐって ここで、春夫の「日記」の記述に戻ってみれば、和歌山の高等女学校に通っていた姉保子が3月27日に帰省してきて、三輪崎港まで迎えに行っています。3時頃三輪崎に着きましたがなかなか船は入って来ず、 […]
2021-10-19 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Nishi 佐藤春夫 館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(23) ・日露戦争に鼓舞される少年 春夫の日記によれば、2月9日夕刻号外が届き、「日露開戦我軍大勝利敵艦二隻を撃沈したよ、万歳大勝利」とあります。大勝利が3度繰り返されています。翌10日は3時に学校から帰ると号外があったので見る […]
2021-10-16 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Nishi 佐藤春夫 館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(22) ・春夫の高等小学校時代から新宮中学入学へ 明治36年2月11日下本町の男子高等小学校で紀元節恒例の拝賀式が行われていますが、いつもと違うのは、椿和歌山県知事の出席のもと、部長以下各地の学校長も召集されていました。知事の臨 […]
2021-10-13 / 最終更新日時 : 2024-04-12 Nishi 佐藤春夫 館長のつぶやき「佐藤春夫の少年時代」(21) 佐藤春夫の小学校時代 春夫の父親の系譜、母親の系譜などを多岐にわたって記述してきたために、なかなか春夫自身の成長する記述に辿り着けませんでした。ようやく小学校時代に辿り着けた感じです。 春夫が新宮尋常小学校(後の丹鶴小学 […]
2021-04-29 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(20) 母方の系譜と春夫の「初めての旅」(4) 実さんがアメリカへ渡ってから5、6年、ある年の暮近く、実さんから久しぶりの便りがきます。他に、「例の母の嫂(あによめ)の兄」からの便りでは、実さんは「肺病」が悪くなって日本に帰りた […]
2021-04-25 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(19) ・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(3) 既に取り上げた長雄道二の私家版「漫筆」という冊子本に、「竹田と鈴木」と題する項があり、そこには、「吾が勝浦に小学校を創設せしは明治八年なるが、明治二十年新小学校令実施に因り勝浦小 […]
2021-04-21 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(18) ・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(2) 政代の兄、竹田家の当主竹田槌五郎は、明治31年7月3日和歌山市南牛町の自宅で亡くなっています。進行性筋萎縮症を患い、死因は沈墜性肝炎でした(死亡診断書より)。安政4年3月22日の […]
2021-04-17 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(17) ・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(1) 「甘やかされた子ども」は「いつも詩人である」、「つまり詩人をつくる為めには甘い母が必要なのだ」(「わが父わが母及びその子われ」)とされる春夫の母政代は、和歌山市湊の竹田家の出で、 […]
2021-04-13 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(16) ・父の医学修業と新宮での開院(7) 元治元年(1864)生まれで、代々太地の地の医家の息子で、勝浦で開業していた長雄道二の私家版「漫筆」(昭和9年2月)の中に、「熊野と病院」と題した次のような文があります。道二は豊太郎よ […]
2021-04-09 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(15) ・父の医学修業と新宮での開院(6) 豊太郎の新宮での開業は、かなり早い時期からの目論見であったのかもしれません。大阪遊学から東京行への望みが脚気病によって絶たれた時、そうして祖母や養父母の強い要望を容れて、明治12年4月 […]
2021-04-05 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(14) ・父の医学修業と新宮での開院(5) 北海道はまた、農地の開墾・開拓のほかに防備の仕事をする屯田兵(とんでんへい)として、多くの士族が移住を余儀なくされた土地でもありました。 開拓使の長官であった薩摩出身の黒田清隆は、「少 […]
2021-03-28 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(13) ・父の医学修業と新宮での開院(4) 森佐五右衛門は、明治26年5月から翌年の4月まで新宮町長を務めています。わずか1年間だけでしたが、そのことが早い目の隠居生活につながるのかもしれません。 森の隠居所は「千種葊(あん=庵 […]
2021-03-24 / 最終更新日時 : 2021-03-14 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(12) ・父の医学修業と新宮での開院(3) 豊太郎が「懐旧」の中で「和歌山の医学校」と「の」を表記しているのは、きわめて正確です。このころまだ和歌山医学校は誕生していなくて、豊太郎が卒業した年の明治15年7月「和歌山医学校」が成 […]
2021-03-20 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(11) テーマ:館長のつぶやき―佐藤春夫の少年時代 ・父の医学修業と新宮での開院(2) 順天堂医事研究会は、明治18年から起こり毎月2回の集会を持ったといいますが、明治20年1月には「順天堂医事研究会報告」第1号が出ていますから […]
2021-03-16 / 最終更新日時 : 2022-08-29 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(10) ・父の医学修業と新宮での開院(1) 春夫の作品「老父のはなし」(昭和8年10月「文芸春秋」)は、春夫が生まれた年、明治25年の出来事として、父から聴いた話です。1月のこととありますから、まだ春夫は誕生していません。木村元 […]
2021-03-11 / 最終更新日時 : 2024-04-11 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(9) ・父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(5) 「自分は今はこの懸泉堂で父祖の仏に仕へて余命を過してゐるが、明治十九年から大正の十一年まで新宮で医者をしてゐたはお前も知つてのとほり。」と「老父のはなし」(昭和8年10月「 […]
2021-03-07 / 最終更新日時 : 2021-03-04 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(8) ・父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(4) 春夫にとって「懸泉堂」は、父祖伝来の地、そこを歌った作品の代表としてまず挙げられるのは「故園晩秋の歌」です。散文詩風な表記で、文語の長歌形式を取り、短歌形式の「反歌」が添え […]
2021-03-04 / 最終更新日時 : 2021-03-26 Tony 佐藤春夫 館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(7) ・父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(3) 「砧」に描かれているのは、幕末に起こった世直しのための蜂起、天災や飢饉で困窮する庶民を見るに見かねて起こした大坂奉行与力であった大塩平八郎の乱、その余波が熊野に居る椿山の身 […]