近江天保の一揆~滋賀支局・田中和子

JR草津線「三雲駅」の東の伝芳山(でんぽうざん)に立派な石碑が立っている。「天保義民の碑」である。前々から気になっていたが一度調べてみたいと思っていました。

あらすじ
近江天保の一揆は、江戸時代後期に起こった百姓一揆。
甲賀騒動・甲賀一揆・三上騒動・百足山騒動・天保十三年近江一揆などともいう。典型的な『惣百姓一揆』と異なり、庄屋等の村役人層に指導された全村民による一揆、大規模な政治的要求を掲げたのである。
天保13年10月16日(1842年11月18日)近江野洲郡・栗太郡・甲賀郡の農民が江戸幕府による不当な検地に抗議し、『検地十万日延期』の証文を勝ち取った。
一揆後、幕府により数万人を超える農民に対して苛烈な取り調べが行われ、土川平兵衛等指導者11人が江戸送りとなった他、千余人の一揆参加者が捕縛され、その中の多くが獄死や帰村後衰弱死したと伝えられている。
これら犠牲になった人たちのことを近江天保義民(天保義民)という。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

近江天保の一揆~滋賀支局・田中和子” に対して1件のコメントがあります。

  1. yatagarasu より:

    滋賀からのニュースをありがとうございます。熊野人が全国各地、世界各地に散らばってそこに住んでこそ知ることができる事柄がたくさんあります。

    各土地土地の文化や歴史を熊野の同郷人の目を通して見ることが出来るのは大変嬉しいことです。今後とも、大いに発信してください。期待しています。

    八咫烏

yatagarasu へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です