ヤタガラスのお気楽闘病記11~前兆

11月上旬、故郷にある特養施設に入居している父を見舞うため帰省することにした。途中、乗り換え駅のホームを小さなトランクを引きずりながら歩いていてつまずいて転んでしまったが、この時、眼鏡を壊してしまった以外は特に怪我などしなかった。

そろそろ新調しようと思っていたこともあり、帰省をすませて帰宅したら眼鏡店へ行こうと決めた。すぐに立ち上がり服の埃を払って何事もなく次の電車に乗り込んだのだった。記憶がないが、今から考えるとこの時、頭はぶつけなくても眼鏡を地面にぶつけてその衝撃を受けていたのかもしれないと思う。

帰省中に1日だけ余裕があったので、古くからの同級生と会う約束をしていた。小学校のクラスメイトで後に卒業した中学校の校長を務めた人物で現在は、新宮城の研究の第一人者になっている。私たちの子供の頃、お城は遊び場のひとつでいつも何人かでお城山に登って遊んだものだったが、歴史的に見ても非常に価値のある立派な城であることを終ぞ知らなかった。

前回の帰省時から、彼の作ったビデオを多くの市民に見てもらうための方法を相談し始めていたので、その打ち合わせのためだった。彼の家を訪ねると、もう一人の同級生がいて、3人ですぐ近くにある熊野古道のひとつ大門坂に行くことになった。大門坂ルートは、いくつかある熊野古道の中で最も短い古道で比較的歩きやすい。天気が良かったので高台から見る熊野灘の景色が素晴らしく、準備もなく思いつきで決めたことだった。

その日は、私は古希を過ぎた老人三人のうちの一人で数日後に病気で倒れるなど想像もできなかった。訪問を終え帰宅する電車の中でふと変な疲れを感じた。風邪でもひいたかと思いながら感じた異様な体調はこれまで感じたことのないものだった。今から考えてみるとやはりこの頃から僅かながら症状が出ていたのかと思う。

近いうちの再会を約束して、翌日乗った電車内で少し感じた疲れは、通常の旅の疲れと思うだけだった。ただ、今までとはちょっと違う頭痛が少しだけしていたが、こうなって初めてあの時からと思う訳でその時はわからない。一瞬コロナではと思ったが、帰途ずっと熱はなかったのでまず大丈夫だろうと思った。

帰宅後、昼間もベッドにいる時間が多くなりそんな状態1週間近く続いた。飲んでいるヘルニアの薬が催眠作用があるのでそのせいだろうと思っていた。今回の出来事が起こったのはその数日後のことだった。病名は「慢性硬膜下血腫」。脳内で出血を起こし、流れ出た血、瘡蓋が脳を収縮させる病気だ。

ヤタガラス

 

ヤタガラスのお気楽闘病記11~前兆” に対して2件のコメントがあります。

  1. yuwata より:

    ヤタガラス閣下が硬膜下血腫で入院中とお聞きした時、どうも熊野でのけがが原因ではないか、ということしかわかりませんでした。

    ネットで調べると、硬膜下血腫には急性と慢性があります。予後は天と地くらいの差が。『熊野でけがして川崎で入院なら慢性のはず』と思いつつ、気が気ではありませんでした。

    慢性は不幸中の幸い。
    無理をなさらず、コロナも拾わず、ますますのご活躍を!!

  2. hiroba より:

    仰る通りでもし急性であったなら命がなかったかもしれないと言われました。
    駅のホームで転倒した時は、70歳を過ぎて足腰が弱くなったなと思っただけでした。
    神様がもう少し生きていなさいと言ってくれたのだと思って、今できることを目いっぱいやっていくつもりです。

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