「春夫詩句を拾う!!」(3)

昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。
どうぞお楽しみください。
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あはれ

秋風よ

汝(なれ)こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。  
(一九二一年一〇月「秋刀魚(さんま)の歌」・『我が一九二二年』所収)

春夫の作品といえば、まず「秋刀魚の歌」。今でこそ秋刀魚は、もう庶民の魚とは言えなくなったが、この作品が作られた頃は、庶民の魚を題材に、風に託して、悲恋の想いを述べた手法が注目された。

春夫の谷崎夫人千代への想(おも)いが、実現されるかに見えた時、谷崎潤一郎は言を翻(ひるがえ)して、春夫と千代とは会えなくなった。世に「小田原事件」と言われる。風に託して、在(あ)りし夕食の風景、世間の常識から外(はず)れた、他人の男と母娘との団欒(だんらん)の模様を偲(しの)ぶ。風に託すしか術(すべ)はなくなっていた。

秋川雅史(あきかわまさふみ)の「千の風になって」が大ヒットした時、私は春夫の手法が、遠くアメリカを経て、我が国に舞い戻ってきたと、ふと思ったものだ。谷崎もこの詩を読んで、完全に一本取られたと、嘆息したという。

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