近江天保の一揆~その② 滋賀支局・田中和子

その後事件の中心人物として80余名に対する取り調べは厳しかった。ことに土川、田島、黄瀬らの庄屋に加えられた拷問は残酷そのものであった。しかし調べられた者たちは、屈しなかった。獄舎中で次々と死んだ者もいたが、首謀者として11名が唐丸籠にいれられて江戸送りとなった。

針の文五郎、油日の惣太郎、上野の九兵衛、氏川原の庄五郎、深川の安右衛門、岩根の弥八、
松尾の五兵衛、杣中の平治、宇田の宗兵衛、市原の治兵衛、三上の平兵衛

街道には農民の多くが涙を流しながら見送り別れを惜しんだ。うち江戸についたのは8名あった。死ぬまで市野らの不法を訴え庶民の正しさを申し立てたという。 遺体はもちろん満足な場所へ埋められなかった。
一揆に積極的に参加した者、消極的ながらも参加した者、それに対して中立の立場でいた者、反対した者もいたのである。
一揆に参加した者に対する幕府からの処罰は苛酷で、刑死・獄死が33名、罰金・追放などは甲賀だけで12571人(野洲・栗太郡は不明)だったという。
その後、参加しなかった者には処罰はなかったものの、裏切り者との汚名や、村八分や家屋の取り壊しにあった者もいたという。

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