館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(43)

春夫の「自我意識」の象徴―「佐藤春夫殿下小伝」
ここで、落第した春夫の、以後の新宮中学生活に戻ってみます。
明治41年3月21日、新宮中学校内で茶話会形式での謝恩会が開かれ、23日には第3回卒業式が挙行されました。30名が卒業しますが、内の1人が中村楠雄で、次席という優秀な成績でした。3月24日、おそらく楠雄の卒業記念であろう、春夫を含めて4人で記念撮影をしています。楠雄が正面を見据えているのに反して、春夫はやや斜めの横向き顔で腕組み姿、心なしか寂しそうな気配です。2度目の3年次を終えていました。

よくぞ残された中村家の写真からのものですが、この写真台帳の裏に、「佐藤春夫殿下小伝」が記されています。写真が出来上がって、後日、春夫が認(したた)めたもので楠雄宛てに送られ、それが中村家で大切に保管されていたのでしょう。楠雄にとってはめでたいハレの日々であったでしょうが、春夫にとっては4年生への進級が決まってはいたものの、やはり悶々たる日々が続いていたのではなかったでしょうか。

新宮中学ではこの年の新入生が100名で、前年より1学級が増え9学級編成となっていました。5月4日には米国宣教師フェルフォールドがやってきて、米国社会の現状について談話をし、翌日4、5年生と英語会話をしています。春夫も4年生として参加できたはずです。撮影から2ケ月後、自筆で認められた全文です。

「佐藤春夫殿下小傳
本写真中最も天才的容貌を具へたるものを佐藤春夫殿下となす 畏れ多くも 佐藤春夫殿下は明治二十五年四月九日を以て大日本紀州新宮町舟町に御誕生あらせらる 有名なる睦仁は殿下が御叔父君なり 殿下幼にして天資御聡明に渡らせられ日々三度右手に然も二本の箸を把るを忘れさせ給はず 長ぜらるゝに及びて益々其御才能を発揮し給ひ就中数學に於て最も然り 然れども大器は晩成なり明治三十九年再度中学参年級を御勉學あらせらる 御性温厚篤實体操点六拾弐点也 笑ひ給へば二本の牙を露出し給ひ宸怒あれば臼大の尻を有する下女の類をすらおそれしめふけば滔々半日に及び給ふ
近眼十八度明治四十一年三月眼鏡を初めて使用なされらる
實に模範的好デカダンなり
嗚呼澆世何んぞこの馬鹿者なるを得んや
 明治四十一年五月弐拾八日
御名御璽
明治四拾壱年三月弐拾四日撮影       」

「いかにも大人びた中学生だった。しかし、この種のタイプはどの学校にも一人はいるものだ。めでたく成人したあかつきに、とんとめでたくなくなる。かつての特徴のあらかたが、きれいさっぱり消え失せる。/ 当新宮中学生の場合、「小伝」にみるところの文体がクセモノだろう。十五歳の少年の手になる戯文のあざやかさ。この点、彼はとっくに大人だった。完成された〈ことばの人〉だった。諧謔で盛りつけた戯小伝ごときは、ことさら筆をかじるまでもなく、すらすら書けたにちがいない」とドイツ文学者の池内紀は記しています(「美しき町・西班牙犬の家他六篇」・岩波文庫解説)。

この戯文の評価は、池内の言に尽くされていると言えますが、内容からみて、数学特に幾何の点数が満たないで3年級に留め置かれた現実を相対化するために取られた自己卑下、それを1年過ごした後の自己客観化、「二本の牙」の露出、他人の評価によるであろう「ホラを吹く」気性、「近眼十八度」の自画像など、斜めから自我を捉える筆致は、のちの春夫の鋭い批評の出発点になるものを孕(はら)んでいるのでしょう。「近眼十八度」は春夫独特の鼻眼鏡になるのだろうし、「二本の牙」は「新宮の三大反っ歯」と自称した自虐像になるのでしょう。さらに、天皇の「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」の表記、「畏(おそ)れ多くも」の前後や「殿下」の前の一字アキなど、皇室表記法にも慣れた手つきです。

春夫が急逝した直後に、幼馴染の岡嶋輝夫が思い出の文を綴(つづ)り、その見出しに「オレは新宮の三大そっ歯 故佐藤春夫君の中学時代」とあります(5月10日付読売新聞)。岡嶋は言いますー「校則違反ではないが、彼の鼻メガネは、彼の文学的才能と共に新宮でも有名だった。またその鼻の上部がうまく隆起していて、メガネがちょこんとのっかり、よく似合ものである。メガネ越しにまじめな目つきで、教師たちのアダ名を片っ端からつけては、われわれにきかせて喜んでいた。彼にかかってはだれかれなしにアダ名をつけられるが、彼自身のアダ名は、だれもつけようがなかった。「仕様がないから自分でつけようか。オレは新宮の三大そっ歯の一人さ」たしかに彼はひどいそっ歯だった。当時の新宮中学の寺内校長、町の自転車屋の主人、この二人と並ぶそっ歯だと自ら宣言したのである。イヤ気がさしてきた新宮中学の校長を引きあいに出し、人一倍の気取り屋の春夫君が、三大そっ歯の一人と名のるあたり、いかにも彼らしかった。」と。先に江田秀郎が春夫のことを「反っ歯さん」と呼んだということとも呼応する証言です。

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