伊勢街道巡り旅6.~津城跡
津城は三重県津市にあった歴史あるお城で、元々は「安濃津城(あのつじょう)」と呼ばれていた。その起源は戦国時代に遡り、永禄年間(1558〜1569年)に長野氏の家臣、細野藤敦が築いた小規模な砦から始まる。その後、織田信長の弟である織田信包が城郭として整備し、五重天守を持つ本格的なお城として完成させた。
津城跡は市の中心部にあり、市民の憩いの広場として親しまれている。現在は本丸と西之丸、内堀の一部が残り、お城公園として整備されている。平成17年3月、県指定史跡に指定された。
歴史的背景
・戦国時代: 織田信包は、安濃津の地を支配しながら津城を拡張し城下町を発展させた。しかし、本能寺の変の後、城主が富田一白に交代。関ヶ原の戦い前には富田信高が西軍と激しい戦いを繰り広げ、一時的に落城する。
・江戸時代: 築城名人と称される藤堂高虎が1608年に津城を大規模に改修。二重の堀や広大な石垣を整備し、城下町もかつて海沿いにあった伊勢街道を引き寄せるなど機能的に再編成した。藤堂高虎については別途、記事を書きたいと思っている。
・明治時代以降: 廃城令により建物は取り壊されたが、本丸跡地などが公園として整備され、現在も一部の遺構を見ることができる。
文化的背景
津城は単なる軍事拠点ではなく、周辺の文化や経済発展にも大きく寄与した。特に、城主藤堂高虎は伊勢神宮参拝者のために街道を整備し、津市を宿場町としても栄えさせた。また、地元の祭りや伝統工芸が津城を中心に育まれ、その影響は現在でも津市内に残っている。
伊勢街道
慶長13年(1608)、藤堂高虎が入城すると城下町の整備を行い、それまで城下の東側を通っていた伊勢街道を城下に取り入れた。このため、津の町は藤堂32万石の城下町であるとともに、参宮客で賑わう一大宿場町となり、経済的な繁栄がさらに加速した。宿場町としても発展した。

