がんを考える㉘~参考になる闘病記
3400点あまりの「闘病記」を集めて、闘病記専門オンライン古書店を営んでいた人がいます。その人は、星野史雄さん。1952年生まれで、早稲田大学大学院修了後、研究職を経て大学受験予備校に勤務。97年に妻、光子さんの逝去を機に退職。翌年、闘病記専門のオンライン古書店「古書 パラメディカ」を開店。2010年に自身の大腸がんが見つかり、抗がん剤治療を続けていましたが、2016年4月19日、63歳で亡くなりました。
「2010年の6月ごろに一枚のはがきが届いていました。差出主はOさんという大腸がんの患者さんで、<読んで元気になるような大腸がんの闘病記を三冊送ってほしい>という注文でした。大腸がんの闘病記は現在140冊近く確認していますが、<読んで元気に>と言われると難しい。棚を見渡し何冊かを読み直し、次の三冊を選びました。Oさんが私の母親と同年代の、一人暮らしの女性ということも配慮しています。」と言って、星野さんは、次の3冊の闘病記を送ったそうです。
・がん六回 人生全快―現役バンカー16年の闘病記(関原健夫著/朝日新聞社)
・破ガン一笑―笑いはガンの予防薬(南けんじ著/主婦の友社)
・さよなら さよなら さようなら(田中美智子著/あけび書房)
上記はほんの一例ですが、闘病記ばかりを全国から集め回った理由を、星野さんは次のように言っています。
「僕も女房を乳がんで亡くしましたが、闘病記を読んでいると、『事前にこういう知識があれば、女房にこんなアドバイスができたのではないか』と思えてくる。病気を告知されて茫然としているときに、夜を徹して闘病記を3冊ぐらい読めば、問題を冷静にとらえる助けとなるのではないか。そう思って、闘病記を集め続けているわけです」
「妻にとって、自分は果たしてよき介護者だったのだろうか」
星野さんは自問し、後悔に苦しめられました。星野さんをパラメディカ設立へと突き動かしたものは、この悔いにほかなりません。手始めに、都心の大手書店の在庫検索システムで「乳がん」という病名でキーワード検索してみたときは、なかなかヒットするものがない。父親から勧められて、故・千葉敦子さんの闘病記も数冊手にとってみましたが、硬骨の女性国際ジャーナリストが書いた闘病記は、普通の主婦に向くものとはとても思えなかったそうです。
「もっと、ごく普通の主婦が書いた闘病記がないものか」
そんな思いから始まった星野さんの闘病記探しは、妻の死後も続きました。蔵書は希少がんを含め、がんを中心に370種類の病気を網羅。ネットで注文を受けて定価の半額程度で譲ったそうです。経営は常に赤字で、親が遺した自宅が入るビルの賃料と大学の非常勤講師で得るわずかな収入で暮らしたとのことです。
星野さんは「病気を告げられて病院を出た瞬間から闘病が始まる」とし、「がんなら同じ部位の人のものを3冊は読んで」と呼びかけていました。自らの大腸がんの発覚時には肝臓に転移して末期でしたが、治療の傍ら2年前まで営業を続けました。蔵書はNPO法人「わたしのがんnet」(山本ゆき代表理事)により引き継がれています。事務局は「ネット時代は情報過多。病気宣告直後に混乱する人が求める患者の『生の声』が書かれた本を店主の思いごと引き継ぎたい」としています。
この星野さんの気持ちはよく理解できます。私たち夫婦がほぼ同時にがんを宣告されて以来、いろいろ頭を悩ませてきましたが、もっと早くに知っていたら闘病の仕方がもう少し違ったかもしれないと思います。幸い今、二人とも回復に向かってはいますが、特に妻の場合は、がんという病気そのものより、大きな「不安」に襲われて睡眠不足や食欲不振に陥り、その治療に相当長期の療養を余儀なくされました。
闘病記を読むことは、病気と向き合うときに必要な知識を、要領よく時系列で知ることができるという利点があります。私が「がんを考える」というシリーズ記事を掲載したのも、私たちと同じように病と闘っている大勢の人たちに少しでも参考になればという思いからです。