ブルゴーニュの神様「アンリ・ジャイエ」

「ブルゴーニュの神様」と呼ばれる醸造家アンリ・ジャイエの訃報が届いたときは、世界中のワインファンが驚いた。アンリ・ジャイエはこれで本当に雲の上の方になってしまったのだが、生前からジャイエの別名は「伝説の醸造家」「ブルゴーニュの神様」「神の手を持つ男」などであった。

1995年ヴィンテージを最後にワイン造りの第一線から退き、引退後もワイン醸造に携わっていたジャイエだが、ジャイエのワインは生前から天文学的な値段で取引されていた。時にはDRCのロマネ・コンティをも凌ぐほどの値段になった。そして亡くなったニュースが届くやいなや、ワイン市場からアンリ・ジャイエさんのワインが一瞬で姿を消したのだ。

ジャイエは「ブルゴーニュの良さを引き出す」ために、ぶどう畑での仕事を何よりも大切にし、徹底して収穫量を制限する。収穫したぶどうは選果台を使って一房一房選び、低温浸漬を行うことでキレイなぶどうのエキスを抽出。発酵には自然酵母を使用します。どこにも奇をてらわず、高級な何かを使うわけでもなかった。

ぶどう栽培もワイン醸造法も一般的なブルゴーニュの生産者がみんな行っているスタンダードなものだった。ただ、これは今でこそスタンダードな醸造法だが、アンリ・ジャイエがこの醸造法でワインを造るまでは、誰一人こんな方法でワインを造ろうとなんてしなかった。アンリ・ジャイエはブルゴーニュの良さを引き出すために、周りの誰もやっていなかった醸造法を自分で考え、開発し、ワイン造りを一変させた。

そうして造られたワインは世界中に衝撃を与え、ジャイエが考え出した醸造法がブルゴーニュのスタンダードになっていった。これが、アンリ・ジャイエが「ブルゴーニュの神様」と呼ばれる所以。現在のブルゴーニュワインは、アンリ・ジャイエという1人の天才醸造家が造りだしたものと言われる。

収穫量を制限したり、低温浸漬法を編み出すなど、素晴らしい醸造法の数々を残したこともジャイエの大きな功績だが、ジャイエを語る上で欠かせないもう1つの大きな功績がある。それが、若手醸造家の育成。ジャイエは現役時代はもちろんのこと、ワイン造りの第一線から退いてからも次世代の醸造家たちの面倒を見続け、「天才」と呼ばれる醸造家を数多く世に送り出した。

ジャイエの弟子として有名なのはメオ・カミュゼとエマニエル・ルジェだが、ジャイエ自身が「ブルゴーニュ最高の造り手」と大絶賛した愛弟子シャルロパン・パリゾや、ブルゴーニュの土地の味を引き出す芸術家、フーリエなど、ジャイエが育てた若手醸造家たちは今では第一線で活躍する醸造家ばかり。

ジャイエが育てた醸造家が、また若手を育成し、「ブルゴーニュの土地の味がするワイン」を造る人がどんどんと誕生していく。ジャイエは自分が美味しいワインを造ることだけを考えていたのではなく、ブルゴーニュワインの将来を見て若手の育成にも力を注いでいた。

ジャイエ以前のブルゴーニュは、「大量生産すること」が何よりも重要と考えられ、「ブルゴーニュらしさ」や「品質」は二の次だった。私たちが今、シャンボールやジュヴレの個性が良く出たワインを楽しめるのも、すべてアンリ・ジャイエの功績。他の産地では造れない、ブルゴーニュならではのワイン。つまり、アンリ・ジャイエという人は「ブルゴーニュワインを産んだ人」なのだ。

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