伊勢街道巡り旅28~田丸城跡
1月中旬、帰省の帰りを利用して田丸城跡を訪れた。昨年二度の伊勢街道巡り旅をすることで、かつてはここ田丸というところが、松坂、白子と並んで、紀州藩の領地であったことを知り興味を掻き立てられた次第。
新宮から特急南紀4号に乗り、多気で参宮線鳥羽行に乗り換え、田丸駅で下車したのは11時41分だった。JR田丸駅は小さな無人駅だが観光案内所もあり、最近建て替えられたと見えて駅舎はきれいだった。
- 田丸駅
- 観光案内所
- 田丸駅
駅前を左に向かうと標識があり、ここ玉城町は「伊勢本街道と熊野街道が交わる熊野古道伊勢路の出立ちのまち」との紹介がある。「新宮まで158㎞」との案内もあり、なんだかうれしくなる。さらに歩を進めると間もなくお堀が見えて、堀に沿って行くと、虎口に行きつく。
1336年に 北畠親房が築いた中世の城が起源で、その後、織田信雄などの武将によって近世城郭として整備された。現在は天守など建物は残っていないが、石垣・堀跡・天守台跡が良好に残り、往時の構造が感じられる。
田丸城の虎口
田丸城では枡形虎口という高度な防御構造が採用されている。
虎口の両側には高い石垣が築かれている。田丸城の石垣は野面積みから打込接ぎへと発展した技術が見られる。石垣上から侵入者を攻撃できる構造となっている。
登城路は意図的に屈曲させられ、直進できない設計になっている。搦手虎口(裏門)は城の北側など、大手と反対側に設けられた出入口で、平時は通用門、有事には脱出路として機能した。大手ほどではないものの、しっかりとした防御構造を持っている。
南北朝時代(北畠氏時代)は、初期的な虎口構造であったが、織豊期 (織田信雄時代)になると、石垣を用いた本格的な虎口が整備され、江戸時代(稲葉氏・久野氏時代)には、さらなる改修と強化がなされた。
田丸城跡は国の史跡に指定されており、
田丸城の本丸は城の最高所に位置し、
- 天守台跡
- 本丸御殿跡
- 富士見門
本丸には天守台の遺構が残されている。織田信雄が築いたとされる三層の天守があったと伝えられている。現在は天守台の石垣が残り、その上に立つことができる。天守台からは伊勢平野や熊野灘を一望できる絶景が広がる。
本丸御殿跡は、城主の居館である本丸御殿が建っていた場所である。現在は平坦な広場となっており、礎石などの遺構が確認できる。江戸時代には政庁としての機能も果たしていた。
実はあまり期待していたわけではなかったが、思ったより立派なお城であった。何より、この地、田丸がかつて紀州藩の領地でったということ、そして、ここ田丸が熊野街道と伊勢街道を結ぶ起点であったことに、ある種の感動を覚えた。












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