伊勢街道巡り旅 下調べ~伊賀上野城

忍者の里として有名な伊賀上野市には高校の同級生が住んでいるので、いつかは行ってみたいと思っていた。ただ、新宮と名古屋の途中とは言え、車ならいざ知らず電車で立ち寄るのは少し面倒なところにある。

 

ついつい先延ばしになっていたが、長年の思いがいよいよ実現することに。あの葉が折れてしまいそうになる固焼き煎餅だけは二度と口にするつもりはないが…。

 

伊賀上野城は、三重県伊賀市上野丸之内に位置する平山城で、「白鳳城」とも呼ばれる美しい城で、歴史的にも建築的にも重要な意義を持っている。
歴史的背景
伊賀上野城の歴史は、天正13年(1585年)に筒井定次が築城したことに始まる。当初は比較的小規模な城だったが、慶長16年(1611)に藤堂高虎が入封すると、大規模な改修が行われた。藤堂高虎は「築城の名手」として知られる戦国武将で、伊賀上野城を大坂城の豊臣方に対する備えとして大幅に拡張した。特に注目すべきは、高さ約30メートルにも及ぶ高石垣の築造である。これは大坂城の西側防衛を意識したものだった。しかし、慶長17年(1612)の暴風雨によって完成直前の天守が倒壊し、その後大坂の陣で豊臣氏が滅亡したため、天守は再建されなかった。
江戸時代から明治維新
江戸時代を通じて伊賀上野城は藤堂氏の居城として存続し、伊賀・伊勢の統治の中心地となった。明治維新後、多くの城郭建築が取り壊されたが、石垣などの重要な遺構は残された。
高石垣
伊賀上野城最大の見どころは、日本でも有数の高さを誇る石垣である。西側の石垣は高さ約30メートルで、大阪城と並んで日本一・二を争う高さだ。この石垣は「打込接(うちこみはぎ)」という技法で積まれており、藤堂高虎の築城技術の高さを物語っている。
天守
現在の天守は、昭和10年(1935)に地元の国会議員・川崎克によって私財を投じて建てられた模擬天守である。木造三層三階の天守で、外観は美しい白壁が特徴的。史実に基づいた復元ではないが、城のシンボルとして親しまれている。
文化的意義
伊賀は「伊賀忍者」発祥の地として知られ、伊賀上野城周辺には忍者に関する文化施設が多く存在する。城下町の雰囲気と相まって、伊賀の歴史文化を象徴する存在となっている。
城下町
伊賀上野城を中心に発展した城下町は、碁盤目状の町割りが今も残り、歴史的な街並みが保存されている。城下町全体が伊賀の文化的アイデンティティを形成する重要な要素となっている。伊賀上野城跡は、その歴史的価値が認められて国の史跡として指定され、石垣などの遺構が保存されている。
松尾芭蕉
伊賀上野は松尾芭蕉の生誕地でもあり、城下には芭蕉に関する史跡も多数ある。武家文化と俳諧文化が融合した独特の文化圏を形成している。
伊賀上野城は、藤堂高虎の築城技術を今に伝える貴重な文化遺産であるとともに、伊賀の歴史と文化を象徴する重要な存在として、現代においても大きな意義を持ち続けている。現在は、伊賀市の主要な観光スポットとして、年間多くの観光客が訪れる。桜の名所としても知られ、春には多くの花見客で賑わう。

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