伊勢街道巡り旅 実録篇21. 本多忠勝

本多忠勝
本多忠勝(ほんだ ただかつ、1548-1610)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した徳川家康の家臣で、徳川四天王・徳川十六神将の一人に数えられる名将である。
三河国(現在の愛知県東部)の出身で、12歳で初陣を飾り、桶狭間の戦い(1560年)では、わずか13歳で参戦、姉川の戦い(1570年)、三方ヶ原の戦い(1573年)など、徳川家康の主要な合戦にほぼすべて参加した。
愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」を使い、槍の名手として知られた本多忠勝は、豊臣秀吉からも「東国無双の勇士」と評された。生涯で57回もの合戦に参加しながら、かすり傷一つ負わなかったという伝説がある。
1601年(慶長6年)、桑名城主として桑名に入封し、関ヶ原の戦いの功績により、54歳で、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)10万石の城主となった。桑名は東海道の要衝で、「七里の渡し」の起点として重要な地であった。城と城下町の整備に尽力したが、桑名城主としての期間は短く、1609年に隠居し、翌1610年に63歳で死去した。
人物像
質実剛健な武人として知られ、派手さはないものの確実に戦果を上げる実直な性格であったと言われる。家康からの信頼は絶大で、重要な局面では必ず忠勝を投入したと言われている。娘の小松姫は真田信之(真田昌幸の長男)に嫁ぎ、賢夫人として知られた。本多忠勝は徳川家康の天下統一を支えた重臣として、日本史上屈指の名将の一人である。
~つづく~

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